《夢の創始国イングランド代表が初来日》


 戦後の本格的な海外交流はオックスフォード大学の初来日によってひらかれたが、この初期の国際交流には一つの例外を除いて特殊なパターンがあった。それは各国から来日するチームのほとんどが大学チームか、州など地域の代表チームということである。日本協会が来日チームを迎えるたびに日本代表チームを編成しても、対戦するのは本来なら格下ともいうべきチームばかり。したがってCAP制度を設けてはみても「テストマッチ」と公表もできず、「CAP対象試合」の表現で日本代表としての栄誉を称える形をとらざるを得なかった。こうした日本協会としては不本意な時代がつづいた交流19年目の1971年9月。初めてイングランド代表日本に迎えることができた。イングランドといえばラグビーの創始国。世界のラグビー界でもっとも古い歴史と権威を誇るナショナルチームである。
 思い起こせば戦後の1952(昭和27)年9月、当時まだ復興途上の日本ラグビー界に世界で初めて手を差し伸べてくれたのも、同じイングランドオックスフォード大学であり、ケンブリッジ大学であった。このことは日本協会が国際交流を通じてラグビー先進国に働きかけ、そして渇望してきた「日本ラグビーの認知」を、創始国のユニオンが先陣を切ってチーム派遣に同意してくれたことでもあり、承認を得たことにも通ずるといえるだろう。日本ラグビーにとって、戦前の恩人がカナダであり、オーストラリアであり、そしてニュージーランドであるなら、戦後のそれはいち早くオックスフォード大学を日本に送り、いままたイングランド代表という栄光のナショナルチームを派遣してくれたイングランドを推すことに異存のあるはずはない。改めて日本協会創設80周年の歩みを綴る記念史に「ジ・ユニオン」(イングランド協会の名称)の厚情と見識に感謝の言葉を刻んでおく。
 こうした歴史的な背景が、選ばれた日本代表の心にも通じていたのだろうか。日本ラグビー界が初めて経験する真のテストマッチは2試合とも、日英両国関係者はもとより、会場につめかけたラグビーファンすべてを、十二分に満足させてくれるものとなった。花園での第1テスト(9月24日)は19-27の8点差。4日後の東京・秩父宮で迎えた最終戦の第2テスト(9月28日)は、それこそ見る者すべての心を揺さぶり、手に汗する3-6の大接戦ではあったが、2試合とも勝者はやはり遠来のイングランド代表。それは当然の結果としても、日英両国関係者のだれがこのような息詰まる展開を予想しただろう。「ジ・ユニオン」関係者たちの好意に対して、日本代表チームはグラウンドで礼を尽して歓迎したことにもなる。
写真・図表
初来日のイングランド代表とのテストマッチ(花園ラグビー場)

 いま日本協会機関誌1971年10月号を傍らに、パソコンのキーを叩いている。トップ記事はもちろん全イングランド招待組織委員長目良篤(日本協会副会長)が綴る「ありがとう!全イングランドチーム」と題する3ページにわたる感謝と喜びの活字が続いていく。その要旨を再録してみよう。
 「…先ず特筆せねばならぬ事は予想外の全日本軍の善戦ぶりであります。編成後間も無い然も遠征の不利はあったとしても、キャップ34個のレコード・ホルダーの主将ロージャーズ君以下、キャップ保持者15名を含む英協会代表チームに二戦共勝利を手にする事は出来ませんでしたが、15キロの体重、10センチの身長の差を物ともせず一歩も引けをとる事なく、対等に試合をして英チームの心胆を寒からしめ、9月29日の英国における新聞紙上を賑わした事は我々の望外の満足であります。
 これは全日本チームのモットーである『接近、展開、連続』が攻撃面だけで無く、素早く接近して敵の攻撃の芽を断つ、広く早く展開して防禦の層を厚くする。更に飽く無い果敢な連続したタックルと防禦面にも出来て大形チームに対して小形コンプレックスを無くした結果だと思います。主将ロージャーズ君が羽田空港で私に自分は数多くのインターナショナルゲームに出場し、又見たが昨日のような当たりの激しいハードゲームは初めてだと云っていました。そして英紙の伝える「体の小さい人のラグビーを完成させた」と云う表現になったと思います。…」(要旨=原文のまま)
写真・図表
初来日のイングランドに善戦した日本代表を称える新聞各紙

 原稿の中身は試合についての記述に終始しているが、目良篤の心を占めた思いのたけは、ヘッドラインが謳う「ありがとう!全イングランドチーム」という短いことばに凝縮されている。「何事も始めが大事」という。その後、日本ラグビーの「開国」がスムーズに展開していったバックグラウンドには、イングランド代表と互角に近い大接戦を演じた日本代表チームの健闘があったからこそともいえ、今日の日本ラグビーがあるのもそのおかげともいえる。
 その後、イングランド代表は1979(昭和54)年5月、2003(平成15)年7月と3度も日本の招待に応じてくれたが、ハイライトの第2幕は8年後の1979(昭和54)5月13日、イングランド2度目の訪日時に、舞台の花園ラグビー場で幕が上がる。ノーサイドまであと2分。日本代表が持ちこたえればラグビー創始国から初の歴史的な勝利に手が届く。スコアは日本リードの19-15。師の大西鉄之祐からバトンを引き継いだ監督横井久にとっては、とてつもなく長い「2分」ではあった。ひとつのキックミスが命取りとなって同点トライを奪われ、コンバージョンの成功で19-21。最後の最後に再逆転をゆるして、日本ラグビー80年、日本協会創設からは53年間の夢は、その瞬間に消えてしまった。記録に残る日本代表の真のテストマッチとしては勝利こそ得られなかったが、21世紀に至る現在まで、劇的かつ最高の試合といえるだろう。日本にラグビーが存在するかぎり日本代表の2度にわたるイングランド代表との名勝負は、永遠に語り継がれていかなければならない。
写真・図表
2003年来日のイングランド代表戦から。
中央パスするのはキャップ60個目の元木

【第1次イングランド代表日本ツアー戦績(1971年9月)】
①9月21日(秩父宮)
 ●全早稲田4-55イングランド代表
②9月24日(花園)第1テストマッチ
 ●日本代表19-27イングランド代表
③9月28日(秩父宮)第2テストマッチ
 ●日本代表3-6イングランド代表
日本代表対戦メンバー】
日本代表対戦メンバー表

【第2次イングランド代表日本ツアー戦績(1979年5月)】
①5月10日(国立)
 ●日本選抜7-36イングランド代表
②5月13日(花園=第1テストマッチ)
 ●日本代表19-21イングランド代表
③5月16日(平和台)
 ●九州代表3-80イングランド代表
④5月20日(国立=第2テストマッチ)
 ●日本代表18-38イングランド代表
日本代表対戦メンバー】
日本代表対戦メンバー表