《初遠征でオールブラックスJr.を破る》


 日本協会が戦後初めて日本代表チームを海外へ派遣したのは1963(昭和38)年4月のことである。遠征先はカナダ・ブリティッシュ・コロンビア(BC)州。日本代表にとっては戦前の海外初遠征先がBC州だったゆかりの訪問地でもあるが、やはりカナダ協会との絆は切れていなかった。戦後の1959(昭和34)年3月には同州代表チームが日本遠征を実現。東京、八幡、西宮などで8試合を行って5勝1敗2引き分け。日本代表とは1勝1引き分けと勝ち越して帰国している。なにしろ日本協会としては外国との交流が再開したばかりの時期。しかもBC州代表の来日前後にオールブラックス・コルツ、オックスブリッジ両大学連合など、話題の来日チームにはさまれ、いまひとつ世間の盛り上がりに欠けるきらいはあったものの、日本ラグビーの復活に手を差し伸べてくれた友情に変わりはなく、日本協会が戦前の例に習って日本代表の戦後はじめての遠征地に選んだのも、答礼の意味も含めてカナダBC州であった。ビクトリア、バンクーバーなど太平洋岸の主要都市で5試合を行い、対戦成績は4勝1敗。バンクーバー代表には5-39と大敗したが、CAP対象のBC州代表には33-6と大差のお返しをして、日本代表XVは戦後の遠征最初のCAPを獲得している。
 日本代表の次の遠征地はラグビー王国を自負する南半球のニュージーランド(NZ)となった。カナダとともにNZは戦前から交流のあった友好国。それも日本協会に招待状を送ってきたのは戦前に来日したNZ大学選抜(NZU)の派遣母体でもあるNZ大学評議会であった。それには①日本代表チームの遠征日程は1968(昭和43)年5月から6月にかけての約1ヵ月②対戦スケジュールは10試合。オールブラックスJr.との対戦はじめNZU(2試合)、州代表(3試合)のほか大学チーム(4試合)の計10試合③宿泊はすべてNZの一般家庭にホームステーする―条件が付帯していた。長期間の遠征と云い、オールブラックスに次ぐジュニアとの対戦といい日本代表にとっては破格の遠征条件。しかもNZUとは1967(昭和42)年3月12日に花園で対戦して3-19で日本代表が敗れている。決して楽な遠征ではないが、監督大西鉄之祐には招待状をうけとったときから、この遠征にかけるひとつの大きな目標というより、心に秘めた「実験」を試すねらいがあった。大西鉄之祐が自身の著書「ラグビー荒ぶる魂」(岩波新書=岩波書店発刊)の中で記述している。その要旨をここに転載させていただく。
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日本代表の大金星を報じる毎日新聞と英文毎日の紙面

 「…僕たちがいまやっている『展開・接近・連続』という、このやり方が外(国)人のチームに合うかどうかわからない。だから、一〇戦同じやり方をやって、それが外(国)人に通じるかどうかをテストするという作戦でいったのです。だから、一〇戦ともひとつもやり方を変えずに、「展開・接近・連続」の戦法で押し切りました。そして、初めの五戦は負けましたが、六戦目からずっと勝って、オール・ブラックス・ジュニアという、ニュージーランド代表のオール・ブラックスの次に位置するチームに勝ってしまった。だから、日本の人はびっくりする。向こうも、日本からきたやつがこんなに勝ったとびっつくりしたわけです。…」(大西鉄之祐著、岩波新書から=原文のまま)
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栄光の日本代表

日本代表のNZツアー対戦成績】
①5月11日
 ●日本代表26−33オタゴ大学○
②5月15日
 ●日本代表5−17ノースオタゴ州代表○
③5月18日
 ●日本代表19−32NZU(NZ大学選抜)○
④5月22日
 ●日本代表22−41カンタベリー&リンカーン大学連合○
⑤5月25日
 ○日本代表18−5ウエストコースト州代表●
⑥5月29日
 ○日本代表14−6オークランド大学●
⑦6月1日
 ○日本代表23−15ポパティベイ州代表●
⑧6月3日(CAP対象)
 ○日本代表23−19オールブラックスJr.●
⑨6月5日
 ○日本代表27−21ビクトリア&マッシー大学連合●
⑩6月8日(CAP対象)
 ●日本代表16−25NZU○
【対オールブラックスJr.の日本代表
対オールブラックスJr.の日本代表メンバー表