Ⅰ 日本ラグビーの組織改革


 日本協会における組織改革は、国内外における日本協会をとりまく環境の変化を、ときには先取りし、ときには追いかける形で行われてきた。
 オープン化はラグビーという競技にとって歴史的な決定となり、世界中の状況を一変させることとなった。このオープン化にともなう急速な国際情勢の変化を受け、金野滋会長、白井善三郎専務理事のもと協会内に国際委員会が設置され白井氏が委員長となり対応を図った。委員長はその後、真下昇氏に引き継がれる。
 そしてオープン化の方向性が顕著にあらわれた1995年の南アフリカでのワールドカップの結果を受けて、増大する技術・情報への対応には組織対応が必要との視点から、白井専務理事の指示により技術情報部会が新設された。
 その後、オープン化によるプレースタイル、スカウティング手法、IT化の促進、メディア対応の重視など代表強化に直結する技術力向上領域の質的にも量的にも急速な変化に組織として対応するために、金野会長、白井専務理事の英断により、協会推進本部を設け、強化を統括的に推進し1999年のワールドカップにあたった。今、日本のスポーツ界では、JOCのゴールドプランに見られるように情報戦略を重視し多くの競技団体が情報部会を設けるなど統合的組織対応による強化を図り成果をあげている。この動きを先取りしたのはラグビー協会である。
 町井徹郎会長はより効率的な運営を図るべく、企業などにみられる執行理事制度を新設し、また、委員会の統合を図った。委員会は、前体制の21から15となった。また、町井体制の第2期では、当時の社会情勢を受けてさらにスモールキャビネットをめざした。理事数は、20から、16となり、理事と執行理事の機能分担を明確化して効率的な運営を目指した。
 2003年のワールドカップ運営にみられるように、国際ラグビー界は運営そのもののビジネス化がますます促進され、多くの協会のフルタイムスタッフによる運営体制への動きが活発となる。国際的にボランティア中心の委員会組織が中心となって実務を行う体制では国際的な対応に遅れをとる時代となった。このことを対外的活動から、明確になったのが2011年ワールドカップの招致活動であった。森喜朗会長、真下昇専務理事の体制となってからは、このような情勢を人的資源また財務の視点からも検討を加え、日本ラグビーのよさを保ちつつ組織対応の効率化をすすめた。委員会組織を統合し、それまでの18から8に減じた。その前提として事務局体制を見直し、フルタイムスタッフの積極的導入と有効活用をすすめた。※
 又、さらなる組織改革をすすめていくためには、日本体育協会・日本オリンピック委員会などの統括組織や多くのわが国競技団体が志向するように役割分担を前提とした理事とフルタイムスタッフの数的・機能的バランスの取れた体制へのさらなる変革が検討されている。
 ※特に事務局も組織の変化にともない担当者を専任化し事業執行を円滑に行えるよう組み替えた。又予算編成及び執行にあたっても事前の稟議制度を設け健全な予算管理体制を確立させた。
委員会組織図