(1)ワールドカップ開催に伴う改革
1987年(昭和62年)第1回ワールドカップがオーストラリア・ニュージーランドで共同開催された。これを期に、ラグビー界もレフリー界も大きな変化を見せ始めた。
第2回大会にはTJで参加し、第3回の南アフリカの大会ではレフリー、第4回ではTJとして日本のレフリーの参加が認められた。(資料5)
この第3回RWCから、アマチュアの代名詞的存在のラグビーも次第にプロ化が進み、大きく様変わりした。
レフリーにおいても、IRBは参加国からのノミネート方式を取りやめ、第4回大会からはデーターベース化(レフリーとしての必要項目を能力度に応じて数値化してある)を基に、パネル(IRB公認)A、パネルBのランク制度を打ち出してきた。
IRBのパネルアセッサーからの評価を受けることが、パネルレフリーになるための必須条件となり、日本のレフリーには二つの道しか残されていなかった。一つはU19のRWCやU23のRWCにノミネートを受けて参加し、その大会で高い評価を得ることである。
もう一つ残されている道は、2004年からARFU(アジアラグビー協会)もレフリーのパネル制度を導入した。つまり、アジアで行われるアジア同士のテストマッチはアジアのパネルレフリーが務めるというもので、ゲームのレベルがやや低いのが問題であるものの、パネルアセッサーの評価を受けることである。
IRBは2000年からレフリーの育成とレフリーコーチ・アセッサーの育成を目指して、世界的規模で事業も展開した。先ほど述べたレフリーのデーター化もその一つであるが、そのほかにレフリー育成のためのレフリープログラムレベル1から3の教本を作成し、ゲームに関する理解やレフリングの基本コンセプトやアセッサーの評価の基準などについて共通認識を確立することが必要であったためである。
わが国でも、レベル1から3までのプログラムを通して、レフリー全般のレベルアップならびにアセッサーの育成に取り組む体制を整備してきた。その結果、過去10年の間に多くのシステムの変化が見られた。
①A・A1選考にあたっては、そのシーズンの評価表(レベル2を採用)をもとに客観的にデーターベース化して、オープン化を図った。
②IRBのパネルレフリーの年齢制限等も考慮して、A1の中から積極的に海外へ派遣し、多くの経験を積ませた。
③アカデミー制度を作り、20代の将来有望なレフリーを継続的に指導し、世界を視野に入れたトップレフリー育成に取り組んだ。
(2)今後の展望
世界のラグビーはプレーヤーのみならず、レフリー、およびアセッサー・レフリーコーチまでフルタイムの専任で従事するような仕組みでないと運営できないようになってきている。
わが国でも、平成16年にトップリーグがスタートし、レフリーも質の高いレフリングが強く求められるようになってきた。それに伴い、普段のフィットネス維持管理はもちろんのこと、ゲーム分析や諸外国の情報収集などに必要な時間は以前にも増して非常に多くなってきた。つまり、従来のアマチュアで行える範囲ではなくなってきたのである。
IRBのパネルレフリーを目指し、ワールドカップでレフリーとして活躍を望むならば、フルタイムでないと務まらないのが現状である。
早期に日本からフルタイムレフリーの誕生を急ぐことが必要である。
今後の課題として非英語圏の日本は、コミュニケーションの面でハンディーを持っているといわれているが、英語をマスターし、世界で戦えるレフリーを育てていくことが必要だ。
もちろん、質の高いレフリングを身につけなければ、問題外であるが…。
組織的にも、体制的にもそのようなレベルの高いレフリーを育成する環境づくりが早急に求められる。幸い、平成18年から競技力向上委員会が誕生し、具体的な目標として、「パネルレフリーの輩出」を掲げているので、今後の具体的な施策に期待するとともに、一人でも多くのパネルレフリーが出てくることを期待している。