資料収集の対象と方法


 わが国において、過去のラグビーに関する様々な資料収集活動を実施するにあたり、第2次世界大戦の影響を無視することはできない。戦前も含めて、日本協会が設立された1926年以降総ての必要とされる資料の保存の状況、再回収の可能性、あるいは資料所在の有無すらも確認することは難しい現状がある。今回、ルールの変遷を整理するに当たり、特に戦前の総ての明確な資料を見つけることは、非常に困難である。
 そこで、本編では、明確な資料の存在が確認されている第2次世界大戦後以降の1946年(昭和22年)からの(財)日本ラグビーフットボール協会(以下日本協会)で毎年刊行された“競技規則Laws of the Game”を主要な資料として整理し、検証した。また、前述したようにルール改正と戦術的な影響、運営上の問題等についても分析、検討するに当たり、1952年(昭和26年)から発刊された日本協会の機関紙“RUGBYFOOTBALL”さらに過去の日本協会の歴史等に関する資料6,9,10,23)を補助資料として活用し、戦後のルール改正の変遷について、年次的に条項を整理し、10年ごとに区別してまとめて整理、変遷して分析、検証に取り組んだ。
 さて、日本でのラグビーのルールが、確実に英国でのルール改正の内容と同じ年度内にわが国に伝達され、英国でのラグビーのルール下と同じ条件でプレーされ、さらに、ほぼ同じようにルール改正などが移り変わるようになったのは、1958年(昭和33年)以降となる。実際に、あるルールの条項については、英国のGadeneyが示した資料5)の改正年度よりも、わが国では、若干遅れて実施されている条項なども存在している。当時の世界的なラグビー事情については、他の多くの資料からも推察することができるが、このような状況下にあって、国内でもやはりルール解釈の問題等が生じており、ここでも当時の日本ラグビーの現状を鑑みることができる。11)
 前述したように、ラグビーとしてのルール改正は、その当時より、競技を統括するIRFB(常任理事国の8ヶ国)で決定してきた。21)その当時の英国でのルール改正の資料等を英文のままで分析することで、ラグビーそのもののルール改正の変遷を明確に整理できることは、間違いない。しかし、わが国のルール改正の変遷と日本ラグビーの具体的な活動内容等について関連させた資料の作成のためには、わが国で実践されていた「ラグビー競技」の姿を検証することが、今編の資料整理で極めて重要な役割である。
 現在のわが国におけるラグビーが、過去においてどのようなルールの下で、どのような競技として歴史的経緯を遂げてきたのか?日本ラグビーの歴史的変遷を正確に把握、理解するためには不可欠の課題である。さらに、日本ラグビーがどのような発展を志向して、どのような取り組みを行い、どのように発展推移していくのか?将来の日本ラグビーの姿を考えるためにも、わが国の資料を基に整理することで、その意義は充分に存在するものと考える。
 したがって、今編の資料収集、分析にあたっても、1957年(昭和33年)以前のルール改正の内容について、わが国のルールと英国でのルール改正の内容について比較検討するのではなく、あくまで日本協会が毎年刊行した“競技規則”の年次的な変遷を主要な資料として抜粋、記述して検討を加えた。
 なお、本編で表1〜6で記した各ルール改正の項目は、競技規則そのものの表記ではなく、要約して簡素化して記載している。また、1978年以降からは年度ごとにルール改正の大要で示された重要な内容について標記した。これはルールの改正数が年度ごとに膨大であり、総てを詳細に表記することは今回の資料編纂の目的を考慮し、本編としては、改正のルール条項数と項目数を示した。その中から主要なルール改正の内容についてのみ記載した。(年度ごとの総ての詳細な内容については、各年度の競技規則を参照。)本編では、2006年までのルール改正について、整理することとする。