5.昭和から平成の時代(1985~1994)


 約8年に及ぶ準備期間を経て、真のラグビー世界一の決定するために1987年(昭和61年)第1回ラグビーワールドカップが開催された。これを期に、プレーヤーへは、これまで以上の激しい動きが要求されるラグビーゲームの姿が示されるようになった。これに関連して国際的なルールの統一や安全対策もますます強化されることが余儀なくされた。
 1985年のタックルの定義変更や1988年の競技区域内に入る事の出来る医師、医務心得者の規定(日本では、メディカルサポーター制度)などが規定された。特に、医務心得者の導入はラグビー競技の発祥以来、プレーヤーとレフリー以外が競技区域内に入ることが許されなかったルールを改正されたものであり、世界のラグビーの流れを考察する意味でも、非常に重要な改正事項であると考える。つまり、これらの安全対策に関連するルール改正においては、NZやオーストラリア等の南半球のラグビーに対する取り組みがIRFBでも非常に注目されるようになり、世界のラグビーそのものが南半球のラグビー主流に推移する時代が到来したといってもよいと考えられる。
 “ラグビー”というスポーツをプレーする場合、コーチ、レフリーをする場合等、ラグビーに関わるすべての場面において、ラグビープレヤーの安全対策についての万全の配慮を忘れることはできない。現在のラグビーにおける安全対策の取り組みについては、世界各国のラグビー界に共通で必要不可欠な検討課題になっているといっても過言ではない。つまり、ラグビーというスポーツが真の世界共通のスポーツ種目の一つとして、全世界に知られ、かつ楽しくプレーされるためには、プレヤーの安全対策に万全を期すことが、まず第1の不可欠な課題となっている。今後、他の世界的発展をとげたスポーツ種目と同様に、ラグビーにおいても世界的な選手権大会の定着と発展のため、1990年代は大きく一歩前進したと言っても良いであろう。
 近年のルール改正の主眼点は、ラグビーというスポーツを世界に広め、発展させるために、ゲームの展開に継続性を持たせ、ランニングゲームとしての魅力あるボールゲームとして独自性を持たせること。そして、プレーヤーの負傷というプレー上の危険を防ぐことに置かれている。この時代には、毎年のようにルールブックの巻頭に「今年度のルール改正の大要」としてルール改正の理由等が明確に示されてきた。
 1992年のルール改正の大要では、明確にランニングボールゲームとしてのラグビーの魅力をより一層高めるとともに安全対策、レフリングへの配慮をも目的として、明確に規定し、ルール改正の意図を明確に示して、ワールドカップ開催等も視野に入れながらルールの改正は行われた。特に、ラグビーの安全対策の取り組みとルール改正との関わりは、この時代世界ラグビーの流れの中で深く関連しており、1970年代の後半からは直接的にルールへも反映され、いかに重要視されてきたかを明確に示されている。
 1990年までのルール改正の変遷を整理した斉藤らの資料32)でも、次のように記述している。ワールドカップの定着と発展にともない、重要な課題として“プレーの継続と安全対策”について、さらに追求され、多くの議論が尽されることだろう。さらに“より楽しく、よりハードなラグビー”を展開することが求められることであろう。今後は、日本協会の活動や世界的なラグビー界全体の流れ等も検討事項に入れ、特にワールドカップの動向を考慮しながら、ラグビーにおけるルール改正等について詳細に研究を継続していくことが重要である。
 ルールの制定や適用ついても、IRFBから世界各国への普及・発展の方向性は同様であり、1991年、イタリアアルゼンチンカナダ日本の4ケ国が常任理事国として加盟し、様々なラグビー競技の普及発展に関する事項決定に関わる重要な国、協会の一つとなった。
 以上より、現在の「世界のラグビー」では、4年を周期とするワールドカップの開催とルールの改正、それに伴う新たなプレーの創意、工夫の変遷は常に密接に関わり、これからの世界ラグビーの姿を作り出すために、さらに重要度を増すことになるだろう。
【昭和60年代】(表5)
昭和60年代(表5)ルール改正一覧

昭和60年代(表5)ルール改正一覧

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