結語


 わが国のラグビー競技としての取り組みについてルール改正の変遷について遡るとき、わが国ラグビーのルール改正の変遷には、非常に重要な分岐点がいくつか存在している。そのポイントを忘れずに、資料整理の分析を実施するとさらに理解しやいと考える。
 第1点目は、英国で行われていたルールの改正点が、同じ年度内にわが国まで、伝達、実施されるようになった年度は、1958年(昭和33年)のことである。これは、当時のニュージーランド(NZ)協会の好意により、英国でのルールの改正について、まず、NZ協会に伝わり、さらにわが国へ伝達されたものである。この点については、他の日本協会刊行の資料からも明らかであり、1,6,9,23)わが国のルール改正の変遷を整理する上では明確に基準を示して分析する課題でもある。
 2点目は、1975年(昭和50年)イングランド協会設立100周年記念の国際会議以降、国際的なスポーツ競技団体としての世界へ普及させるために、IRFB加盟国の一員ととしてのわが国ラグビー界の取り組みとしての検討である。つまり、国際的なルール改正と同じ時期にIRFBから加盟国であるわが国へ直接的に伝達されるようになった点である。これ以降のルール改正については、IRFBからの英文が翻訳されており、その改正の目的等についても明確に示されている。事実、ルールブックにも年度ごとのルール改正の大要が掲載されるようになったのもこれ以降となる。IRFB加盟国の一員としての、国際的な活動がわが国におけるラグビーの普及発展の現状を明確に示す上でも重要な年である。
 そして、最後は、IRBが1997年に制定した「PlayingCharterラグビー憲章」制定以降のルール改正の分析、検討となる。アマチュアリズムの撤廃決定とIRB総ての加盟国からの回答を得て示された「ラグビー憲章」の意味合いは、計り知れないだろう。ラグビー憲章の冒頭序文には、その意図するところが明記されており、ルール改正の変遷をたどる上でも重要な基準が示されている。これからのルール改正の変遷については、この新たな基準に照合した結果、その意味することが必ず存在していると考えられる。