アンチドーピングムーブメント


 ラグビーでは、競技そのものがイコールコンディションを重んじ、ノーサイドの精神を尊ぶ歴史的背景から、ドーピングについては特に問題とならなかった。しかし、ワールドカップ(W杯)開催を契機に勝敗そのものが重要視されることとなり、薬物の使用・取扱いに関連する状況も変化し、1991年開催の第2回W杯競技規定にアンチドーピングの条項が盛り込まれた。
 開催前年には予選参加国を対象に競技外検査を実施し、W杯予選リーグ、決勝トーナメントでも検査が実施されることになり、国内では1990年7月の日本代表菅平合宿でドーピング検査(競技外=抜き打ち検査)がIRBによって2選手を対象に初めて実施された。その後、日本協会は1994年にアンチドーピング規定を制定し、アンチドーピング委員会(委員長河野一郎)を設置した。ドーピング行為はルール遵守のモラルに反するという社会的側面、フェアプレーの精神とフェアな行為に立脚する倫理的側面および人体への影響すなわち医学的根拠からも許されないことを選手、指導者およびメディカルスタッフに対し広く正しく理解してもらうべく、委員会はWADA(世界アンチドーピング機構)コードに則った情報提供などによるアンチドーピングムーブメントの普及・啓発活動を展開している。
 日本協会による検査は1994年4月の日本フィジー戦において初めて競技会検査で実施され、その後テストマッチをはじめ国内の主要試合である日本選手権大会、全国社会人大会/トップリーグ、全国大学選手権大会および全国高等学校大会において検査を実施している。検査にあたっては、スポーツ振興くじ(toto)の助成金を受けて一部実施しており、加えて文部科学省を通じ国庫金を導入しての「アンチドーピング活動推進支援事業」がJADA(日本アンチドーピング機構)に委嘱されており、検査実施の中立性確保の観点から検査実施主体の一部をJADAが担当することに代わってきた。
 日本国内における1986年〜2006年の検査実施は競技会検査782例(陽性1例=陽性率0.13%、検査値異常2例=検査値異常率0.26%)、競技外検査83例(陽性0例=陽性率0%)で、合計865例(陽性1例=陽性率0.12%)である。
 なお、陽性例については、検査が2000年に行われ、病気の治療中であったにも拘らず選手および医療担当者のアンチドーピングに対する認識不足と委員会からの情報提供が十分徹底されていなかったことが相俟って生じた例であり、委員長を引継いだ蓮沼隆・赤間高雄はこのようなケアレスミスの再発防止に向けアンチドーピング・ムーブメントについての啓蒙活動に一層の注力を行っている。また、検査値異常の2例についてはいずれも生理的なものに起因しており問題はなかった。