2000年を過ぎてから、世界では7人制の
ワールドシリーズがはじまっていたが、2009年、オリンピック競技に正式に決まり、そしてその後数年たっても、
日本の7人制は、本格的な強化はなされなかった。
当時の女子の競技人口は2000人以下で、選手間の競争も少なく、いわゆる「アスリート」という存在が非常に少ない状態だった。競技者が少ないため、所属するクラブには、指導者やメディカルスタッフなどもおらず、身体作り、という概念もなかった。そのため、怪我は日常茶飯事、怪我をしてしまうと競技者としての復帰が困難な状態だった。
プレー環境においても、グランドの確保すら難しく、多くの選手が、週一回程度の練習で、練習をしても、それを発揮する試合は、国内・海外においても非常に少なかった。「ないないづくし」の中、特に2002年にラグビー協会に入るまでは、女子連盟スタッフ、選手たちが工夫して、代表合宿や遠征を実施していた。
男子に目を移しても、五輪競技採用から、7人制ラグビーの強化が加速することが期待されていたが、現実的には7人制の地位や認知度は低く、
日本代表といえども、冷遇されていた。国際大会に出場する際も、1週間程度の短い準備期間で大会に臨まなければならない状況だった。