日本のラグビーフットボール協会の生立ち


 旧民法34条の規定により設立された財団法人日本ラグビーフットボール協会と権利能力のない社団である関東ラグビーフットボール協会(以下:関東協会)、関西ラグビーフットボール協会(以下:関西協会)および九州ラグビーフットボール協会(以下:九州協会)は2008年(平成20年)12月1日の「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」施行に伴い、公益財団法人の認定を受けるべく2009年(平成21年)4月1日を以て統合した。
 2010年4月1日 公益財団法人日本ラグビーフットボール協会として内閣府より認定を受けた。
 各ラグビー協会の生立ちは:
  1924年(大正13年)6月に関東ラグビー蹴球協会設立
(神奈川県、山梨県、長野県および新潟県以北の各県)
  1925年(大正14年)9月に西部ラグビー蹴球協会設立
(本部を大阪に、支部を名古屋、大阪、京都、神戸、福岡、京城、大連に設け、広範囲の統括地域だけに西部ラグビー蹴球協会の名称をつけた)
  1948年(昭和23年)に九州ラグビー蹴球協会設立
  1948年(昭和23年)九州協会設立時に関西ラグビー蹴球協会と改称
 1921年(大正10年)2月11日第2回東西対抗ゲーム終了後、中之島の大阪ホテルでのミーティング席上で杉本貞一氏が『ラグビーも非常に発展をしてきたから、日本でもユニオンを作る必要がある。而して今のうちに統一して、東西協調しては如何』と提案、大賛成となり、寺田治一郎氏が草案を作成し、遂にラグビー協会の設立を見るに至った。その後、5年9か月を経て「関東、西部両協会の理事合同会議で目出度く多年懸案たる日本ラグビー蹴球協会は成立したのである(協会80年史より引用)。1926年(大正15年)12月30日日本ラグビー蹴球協会が正式に設立した(平成15年6月理事会で承認)。
 このように最初は地域協会が発足し、次いで東西を統一したユニオン(日本協会)が誕生した。特に、設立直後の日本協会と関東協会が事務所を含めて表裏一体の関係であり、更にもっと進んだ同体の関係にあったことを直接、間接的に機関誌「RUGBY FOOTBALL」(Vol27-2)「関東協会の歴史を追う」に記載されている。その後、1980年代後半から1990年代にかけてワールドカップへの参加、ラグビーのオープン化と日本ラグビーそのものの国際化と共に事務局を分離し、現在の体制となった。