【合同チーム大会発足の背景】
平成3年度(1991年度)全国の高校ラグビー部の登録校数は1、582校、登録部員数は57,826人で、登録部員数は過去最大であった。登録校数が最大であったのは翌年の平成4年度(1992年度)で1,586校であった。平成3年度の全国高校ラグビー大会(花園)の地方予選への参加率は94,2%で、ラグビー部はあるものの、全国大会予選に不参加だったという学校数は全国で92校だった。
その後少子化の流れのなか部員数、登録校数の減少は加速していき、第80回全国高校ラグビー大会が行われた平成12年度(2000年度)には、登録校数は1,267校、登録部員数は28,359人となり、全国大会地方予選への参加校数も828校となった。参加率では65,4%まで減少していた。(不参加校は421校)この年、少人数チームへの対応策として複数・合同チームでの大会参加を認めることも始まった。各都道府県の中には合同チームでの参加を認めないところもあり、全国で合同チームでの大会参加チームは13チーム32校であったが、全国高等学校体育連盟ラグビー専門部では、部員減に悩む学校への対応策として合同チームでの参加を認めていくこととなった。その後合同チームでの全国大会地方予選への参加チームは増えていき、登録部員数も3万人を割った平成17年度(2005年度)には、合同チームでの地方予選参加数も75チーム(207校)となり、予選参加率は75,5%に回復した。
このようなラグビーの部員減のなか、高校ラグビーの活性化を図るために、2005年に全国9ブロックの各ブロックから選抜されたU17の選手の体力や技能の向上を目指すカテゴリーと部員不足に悩む学校の選手で構成するU18の二つのカテゴリーの全国合同チーム大会を北海道夕張市で実施することとなった。
【第1回大会】
2005年3月に当時の(財)全国高等学校体育連盟ラグビーフットボール専門部部長の前田嘉昭氏(日本ラグビーフットボール協会理事・高校委員会担当)から、部員不足の学校による合同チームの全国大会を開催する提案がなされた。4月に全国高体連ラグビーフットボール専門部の全国委員長会議で議題として提案され、北海道夕張市で7月31日に開会式、8月1,2日の2日間で試合を行うことが決定した。5月に全国高体連ラグビーフットボール専門部常任委員会を臨時で招集して具体的な実施要項案を作成し、(財)全国高等学校体育連盟基本問題検討委員会と(財)日本ラグビーフットボール協会理事会に諮り、開催に向けて急ピッチで準備を進めていった。
この間、主催、主管の確認、協賛、後援の依頼など全国規模の大会として成立する要件を調整していった。最終的には主催は(財)日本ラグビーフットボール協会と(財)全国高等学校体育連盟ラグビーフットボール専門部、主管が関東ラグビーフットボール協会とし、後援が(財)全国高等学校体育連盟、夕張市、夕張市教育委員会、北海道放送株式会社、株式会社毎日放送、協賛が株式会社NTT北海道、株式会社日本航空、株式会社その興産にお願いした。さらにラグビーワールドカップ日本開催を誘致しようという流れのなか、2011ラグビーワールドカップ日本招致実行委員会に特別後援となり、また神戸製鋼グループの「高校ラグビー活性化プロジェクト」の一貫として合同チーム大会も特別協賛として支援していただけることとなり、「2011年ワールドカップへの道 KOBELCOジャパンユースラグビードリームトーナメント2005」大会が北海道夕張市平和運動公園ラグビー場で実現した。
大会期間は短いものの、予選リーグ2試合、決勝リーグ2試合を2日間で戦いながら、神戸製鋼コベルコスティーラーズの選手による激励会や講習を実施するという密度の濃い日程のなか、レセプションでは特産のジンギスカンや夕張メロンを十分にいただけるなど参加した選手には楽しい思い出となった大会であった。初めての全国レベルでの大会参加であった選手も多く、今後のラグビー選手としての意識を高める大会になった。
【第2回大会~第3回大会】
とにかくできるところから始めた第1回大会の反省を受けて、参加選手の経費負担を削減すること、各チームの夏合宿の日程調整などから、第2回大会(2006年)、第3回大会(2008年)は7月21日(第3回は20日)からと大会日程を早めたが、ところがこの時期は北海道の高校ではまだ夏季休業に入っておらず、北海道高等学校体育連盟ラグビー専門部の先生方には大変な負担をおかけすることとなった。
また、第1回から第3回大会では、U18チームは各ブロック内から広く選手を選出することができずに、ブロックの中でその年の担当県を決めて合同チーム編成をしているブロックも多々あり、合同チーム編成にもブロックでの取り組みに温度差があった。
第2回大会から2011ラグビーワールドカップ日本招致実行委員会の特別後援はなくなったがワールドカップに向けてのユース強化の計画は継続された。主催では(財)全国高等学校体育連盟ラグビーフットボール専門部が主管に変更となり、日本協会主催の事業となった。協賛には新たにロート製薬株式会社にご支援いただけることになった。後援に北海道新聞社が加わった。
大会日程では初日夕刻に代表者会議、2日目に予選リーグ、3日目には講習会、最終日に決勝リーグという現在に至るスケジュールが確定した。
第3回大会から後援に毎日新聞社が加わり、大会名が「KOBELCOカップ」となった。この年は、夕張市が財政再建団体になったことから大会の運営も危ぶまれたが、夕張市から大会開催が不可能ではないことを伺い、過去2回の大会開催に対する感謝の気持ちと高校ラグビーを通じて夕張市を応援するという趣旨で第3回大会を開催することになり、「がんばれ!夕張」というキャッチフレーズもプログラムに記載した。
大会中の講習会はU17を(財)日本ラグビーフットボール協会ユースコーチが担当し、U18をコベルコスティーラーズの選手・OBが担当することとなった。
【第4回大会から】
第3回大会(2007年)まで夕張市で開催した大会ではあったが、航空運賃等、大会参加のための選手の負担金額が高いこともあって、第4回大会から会場を長野県上田市菅平サニアパークに移ることとなった。主管に長野県ラグビーフットボール協会、長野県高等学校体育連盟ラグビーフットボール専門部、後援が長野県教育委員会、上田市、上田市教育委員会、菅平観光協会、菅平旅館組合、信濃毎日新聞社、SBC信越放送に変わった。
大会のスケジュール等は第3回大会のスケジュールを継続して、代表者会議・予選リーグ・講習会・決勝リーグの3泊4日で実施された。
第4回大会(2008年)からはコベルコカップで活躍したU18の選手から東西25名ずつの選手を選抜し、当該年度の花園大会決勝の前座試合としてU18合同チーム東西対抗戦を実施することとなり、少人数の部員にとっても新たな目標ができた。当初は高校3年生でセンター試験直前であることからメンバーに推薦されても辞退するケースもあったが、現在では、U18合同チーム東西対抗戦は「もう一つの花園」として少人数チームで活動を続けている選手の憧れの試合となっている。
U17では8月下旬に開催されている日・韓・中ジュニア交流大会に、これまでは春の選抜大会の優勝チームが日本の代表チームとして出場していたが、この年から、U17日本代表チームを編成して出場することとなった。ユース強化においては、ブロックトレセン→コベルコカップ→U17日本代表という流れができた。
第6回大会(2010年)では、2019ラグビーワールドカップ日本開催が決定し、将来の日本代表選手を目指す選手にとってより身近な目標が生まれた。
第7回大会(2011年)では、2016年リオデジャネイロオリンピックへ向けて、第1回全国高等学校女子7人制ラグビーフットボール大会が同時に開催された。女子ラグビーは登録選手にブロックによってかなりの隔たりが多いなか、ラグビー経験者の部と初心者の部に分けつつ、全国から経験者72名、初心者58名の計130名の高校生女子ラグビー選手を招集した。試合経験の少ない女子選手への対応策として講習会を実施した。経験者グループは「7人制の特徴を理解する」というテーマでパウロナワル氏(元セブンズ日本代表監督)のセッションを行った。講演会では、スピードスケートのオリンピック選手である神野由佳さんから「この大会からオリンピック選手を出そう」とういうテーマで講演を頂いた。冬には花園大会開会式後のエキシビジョンとして花園女子セブンズ大会(普及の部と経験者の部)を実施した。
2014年には第10回大会迎え、記念式典・祝賀会を実施することができた。その後神戸製鋼所とのミーティングを行い今後の展望を確認した。2019年ワールドカップ、2020年東京オリンピック、2021年花園大会100回記念大会とラグビーの注目イベントが続く絶好の機会に高校ラグビーの活性化を諮り、U17では高校日本代表から日本代表を目指す「道」を、U18では普及・啓蒙・強化を進め、少人数チームの選手の憧れの舞台である「もう一つの花園」からさらに日本代表へつながる「道」を、女子では普及・啓蒙・強化を進め、7人制から15人制での高校女子日本代表チームの編成、さらに女子ワールドカップへの出場を目指す「道」という、統一したプロジェクトを進めていく方向性が共有された。
2019年には男子が第15回、女子は8回大会が開催されます。この間、長野県ラグビーフットボール協会、長野県高等学校体育連盟ラグビーフットボール専門部、菅平観光協会、菅平旅館組合の皆様には大会運営に甚大なるご協力とご支援をいただき、今日までに至る大会の発展に深く感謝いたします。
(全国高等学校体育連盟ラグビーフットボール専門部 専門委員 川中子修)
優勝 | EAST1 |
2位 | WEST2 |
3位 | WEST1 |
3位 | CENTRAL1 |
優勝 | 関東 |
2位 | 九州 |
3位 | 中国 |
優勝 | 九州 |
2位 | 関東 |
3位 | 中国 |