明治33年(1900)度

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2シーズン目

慶応義塾、ラグビーの土台作り
『慶応60年史』P145に「苦労の多かった創設当時」として安藤復蔵が「山崎不二雄、松岡正男、伊藤重郎、浜田精蔵、猪熊隆三、鈴木四郎、小倉和一、岡本謙三郎、同一之助[岡本一之助という意味の同か?]、其の他多数の有志で、ゼ・バーベリアンの名称で始まり、夫れへ敷島クラブという別の団隊が合同してラグビーフットボールクラブとなった。敷島の方には海江田準一郎(後に平八郎)、北田内蔵司、吉武吉雄、福永等が居た」と記している。年度がはっきり記されていないが、対外試合ができるように、仙台ケ原で着々とチーム作りに励んでいた年だと推察される。