序章 「川西市史 続編 行政史Ⅰ 1975~1994」概説

 本稿は、『かわにし 川西市史』全8巻が取り扱っていた1974年(昭和49年)までの歴史を踏まえて、その市史続編の編さんのための第一歩として、1975年(昭和50年)前後から1994年(平成6年)までのおよそ20年間について、行政史を中心にまとめたものである。

 第1章第2章では、市史第3巻の最後に記述があった大阪国際空港の航空機騒音公害問題と一庫ダムの建設について、それぞれその後の経緯を追いかけた。前者では訴訟の終結から空港の存続までを、後者ではダム完成から運営開始までを、それぞれ取りまとめた。

 第3章では、1990年(平成2年)まで続く伊藤龍太郎市長が取り組んだ市政について、各年度の当初予算の概要や総合計画、行政改革大綱などの概要を取りまとめて記述した。

 具体的な取り組みは、第4章から第9章まで、それぞれ学校園の開設や、社会教育施設等の整備、都市生活基盤の整備、市民福祉施策の充実、再開発、コミュニティ政策の推進など、その概要について取りまとめた。とりわけ、再開発とコミュニティ政策の推進は、全国的に見ても特筆できる政策として展開されたものだと考えている。

 第10章では、1990年(平成2年)に起こった「市政を揺るがす大事件」と、その後の市政改革を取りまとめた。そして、柴生進市長の1期目の市政の取り組みについて、第3次総合計画の策定を核にして記述した。

 第11章では、1975年(昭和50年)から1994年(平成6年)の20年間にわたる産業や観光などの分野での行政の取り組みについて、その概要を記述した。

 ここで取り扱った時期は、表00-01の国勢調査時の人口の推移をみれば分かるように、1960年代後半、昭和40年代からの北・中部の大規模住宅開発によって人口の急増が進んだことによって生じた多様な課題への対応、とりわけ、都市基盤・都市機能の整備を急がなければならない時期であった。それゆえ、本稿の記述では、ソフト面の展開よりもハード面の整備に重きを置いた記述になったが、この時期の都市基盤・都市機能の整備が次の川西市の発展につながっていく。

表00-01 国勢調査時の人口(『川西市統計要覧』各年度版から抜粋)
回数 実施年 世帯数 人口 備考
総数
第1回 大正9年 1920年 2,899 13,951 7,281 6,670 市制施行前(合併前)の川西町、多田村、東谷村の合計
第2回 大正14年 1925年 3,472 16,047 8,063 7,984
第3回 昭和5年 1930年 3,606 17,039 8,527 8,512
第4回 昭和10年 1935年 4,068 18,889 9,442 9,447
第5回 昭和15年 1940年 4,742 22,411 11,236 11,175
太平洋戦争
第6回 昭和22年 1947年 7,153 31,048 15,255 15,793
第7回 昭和25年 1950年 7,184 32,555 16,079 16,476
昭和29年 1954年 7,490 33,741 16,734 17,007 市制施行時
第8回 昭和30年 1955年 7,808 35,158 17,407 17,751
第9回 昭和35年 1960年 9,967 41,916 20,822 21,094
第10回 昭和40年 1965年 16,205 61,282 30,859 30,423
第11回 昭和45年 1970年 24,156 87,127 43,436 43,691
第12回 昭和50年 1975年 32,504 115,773 57,311 58,462
第13回 昭和55年 1980年 38,101 129,834 63,784 66,050
第14回 昭和60年 1985年 40,753 136,376 66,240 70,136
第15回 平成2年 1990年 44,107 141,253 67,956 73,297
第16回 平成7年 1995年 48,522 144,539 69,088 75,451
【補注1】人口10万人を超えたのは、1972年(昭和47年)12月
 ➡『広報かわにし』第259号(昭和48年1月15日号)p1を参照
【補注2】1983年(昭和58年)4月にスタートした第2次総合計画では、1990年の人口を20万人と想定していた
 ➡『広報かわにし』第529号(昭和58年1月15日号)p1及び川西市発行『川西創世記50 川西市制施行50周年記念誌』p17を参照
表00-01 国勢調査時の人口(『川西市統計要覧』各年度版から抜粋) グラフ