1966年(昭和41年)8月の市長選挙で初当選した伊藤龍太郎市長は、1970年(昭和45年)8月の市長選挙で再選された後、1974年(昭和49年)8月に行われた市長選挙で、3度目の当選を果たした[注01]。
第6代の市長となった伊藤市長は、選挙直後の広報紙に掲載された「就任のごあいさつ」において、「今後、市制20周年を迎えた川西市11万市民の期待と信託にこたえ」るため、「今回の市長選挙にあたり公約したこと
①駅周辺をスッキリした街並みに
②ダム建設を促進して、水を確保し、周辺に休暇村をつくる
③公害を防止し、下水道を完備して、清潔な街にする
④運動公園、市民プール、墓地公園、火葬場をつくる
⑤全日制県立高校を早急に誘致する
⑥老人福祉センター、養護学校を建設し、保育所を増設する
⑦市民病院を整備し、休日救急体制の確立を図る
⑧農業を近代化し、緑化を推進する
などの施策の一つひとつを着実に進めるため私を先頭に腕まくりをして努力していきます」と宣言した[注03]。
就任直後の1974年(昭和49年)10月には、この月に退任した松永清助役の後任として、辻󠄀正男総務部長を助役として起用。市議会での選任同意を得た[注04]。また、1976年(昭和51年)8月、毛利素好助役が退任した後、1977年(昭和52年)4月に、島本康彦・兵庫県土木部土地局長を助役として起用。市議会での選任同意を得た[注05]。辻󠄀助役、島本助役は、この後、伊藤市長を任期満了まで支えることになる[注06]。
昭和50年度から昭和53年度までの4年間の当初予算では、この公約実現のため、次のような予算編成を打ち出した。施策項目は、広報紙に掲載された見出しから抽出した。
| 昭和50年度当初予算 一般会計 109億5,710万円/総額 162億571万円 [注09] |
| 【市民福祉の向上】〇長尾町に老人福祉センター建設着手 ○救急医療体制の整備 ○水洗化の促進 ○学園緑化へモデル校設置 |
| 【都市開発の推進】〇川西能勢口駅周辺整備を推進 |
| 【教育文化の振興】〇萩原台に小学校(明峰小学校) ○加茂・大和地区に幼稚園(2026年3月現在加茂こども園・牧の台みどりこども園) |
| 昭和51年度当初予算 一般会計 128億5,160万円/総額 204億6,112万9千円[注10] |
| 【市民福祉の向上】〇長尾町に老人福祉センター開設 〇送迎用福祉バス購入 〇南部清掃工場を建設 |
| 【都市開発の推進】〇栄町で住宅地区改良 |
| 【教育文化の振興】〇湯山台に中学校(明峰中学校)を新設 〇養護学校建設へ調査費 |
| 【その他】〇新総合計画を策定 |
| 昭和52年度当初予算 一般会計 140億4,130万円/総額 217億6,004万7千円[注11] |
| 【市民福祉の向上】〇小戸保育所開所 〇保健センター医療機器を充実 〇下水道事業に28億投入 |
| 【都市開発の推進】〇改良住宅「花屋敷団地」建設 |
| 【教育文化の振興】〇養護学校新設 〇歴史民俗資料館建設着手 |
| 【その他】〇多田公民館・行政センター開設 |
| 昭和53年度当初予算 一般会計 159億5,580万円/総額 255億5,238万6千円[注12] |
| 【市民福祉の向上】〇多田保育所新設 〇加茂にポンプ場 〇南部清掃工場稼働 |
| 【都市開発の推進】〇改良住宅建設 〇勤労者に住宅資金融資制度 |
| 【教育文化の振興】〇養護学校開校 〇向陽台に中学校(緑台中学校)新設 |
川西能勢口駅周辺の再開発は、1974年(昭和49年)3月に策定された「川西能勢口駅周辺都市整備計画基本構想」に沿って始まる。伊藤市政の大きな課題であり、長期間に渡る大事業となっていく。詳しくは【第8章】で見ていく。
次に、市北部・中部の大規模住宅開発をはじめとする人口増に対応するための学校園の新設や増設が、この時期には大きな課題となる。詳しくは【第4章】で見ていく。
また、各種公共施設【第5章】、上下水道やごみ処理施設などの整備【第6章】、市民福祉・健康保健施策の充実【第7章】なども、この時期から推進が始まる。これらも詳しくは後段の各章で見ていく。