1965年~1974年の昭和40年代は、市内北・中部の民間事業者による大規模住宅開発が進んだ時期だった。これらの開発によって市の人口の急増、そして児童・生徒も急増した[注01]。それに伴い、小学校をはじめとする公共施設の整備が大きな行政課題となった。
1967年(昭和42年)5月、川西市は、「川西市住宅地造成事業に関する指導要綱」を施行する。この要綱は、開発事業者に対して、道路、下水道などの公共施設だけでなく、上水道、幼稚園、小学校、中学校、保育所、公民館なども「自己の費用で施工し、市に寄附または譲渡しなければならない」と規定した内容で、人口急増に悩む自治体の中でも初の試みであり、「川西方式」と呼ばれるほど当時の全国の自治体から高い評価を受けた[注02]。