第4章 注

[注01]

 1965年(昭和40年)10月に行われた第10回国勢調査における市の人口は61,282人。それが1975年(昭和50年)に行われた第12回国勢調査では、115,773人と倍増に迫る人口増に。また、児童・生徒数の推移では、1970年(昭和45年)5月1日現在の学校基本調査では、小学生(児童)8校7,218人、中学生(生徒)4校2,557人の合計9,775人だったものが、1975年(昭和50年)5月1日現在の学校基本調査では、小学生13校12,792人、中学生5校4,494人の合計17,286人と、これもまた倍増に迫る増え方だった。1970年(昭和45年)から1994年(平成6年)までの児童・生徒数の推移は末尾の別表04-01を参照

[注02]

 川西市発行『かわにし 川西市史』第3巻(昭和55年)p542-556及び川西市発行『川西市30年のあゆみ』(昭和59年)p21-23、「川西市住宅地造成事業に関する指導要綱」(昭和42年5月18日施行)を元に記述。なお、幼稚園、小学校、中学校の建設では「立替施行」の手法が取られた。1980年(昭和55年)5月15日付け「川西市議会報」第33号に「立替施行」の用語解説がなされている。概要は下記のとおり

※“立替施行”とは

 大規模な住宅地等の開発が行われる場合、その住宅地等に必要となる公共施設(小中学校、幼稚園保育所、道路、都市公園、河川、水道、下水道)については、開発業者が行う一部の施設を除き、地元の市町村で整備することとなる。しかし、これらの公共施設の整備費用は莫大な額であるうえ、その整備も短期間で行わなければならないことから、一市町村の財政力では適時これを行うことが困難な場合が少なくない。

 そこで、大蔵、文部、厚生、建設、自治の関係五省間の「宅地開発または住宅建設に関連する利便施設および公共施設の整備に関する了解事項」として、公共施設の建設ならびにその財源措置についての途が開かれた。

 その了解事項の内容は、
 ①一定規模の住宅地開発等(十万坪以上の宅地開発または一千戸以上の集団的住宅の建設)に伴い、市町村が公共施設の建設を行うことが困難な場合、住宅地等の開発業者が施設建設を行うこと<立替施行>ができる。 ②立替施行を行った場合の費用は、原則として三年以内に市町村が開発業者に支払う。(国庫補助金または地方債許可額以外の自己財源で支払う場合は十年以内) ③市町村が費用を支払うとき、国は、予算の範囲内で補助金を交付し、地方債計画額の範囲内で地方債を許可する。
というもので、以後、第二期住宅建設五箇年計画期間中の特例として、①の対象面積および戸数がそれぞれ緩和されている。

また、当時教育委員会事務局施設課で施設建設に携わった中西信一・元理事からは、次のような聞き取りを行った
 ➡当時は、金利が年8~9%と高かったので、大変だった。早く返さないと金利だけで大変な負担になったが、費用対効果や市の予算編成・財政計画上の利点があることから、この手法を取り入れた。開発業者の側から見れば、早く小学校を建てると住宅地が早く売れる。「呼び水」になるから、「早く良い学校施設を造ってくれ」となっていた。デベロッパーとの相互協力という面もあり、学校建設、分譲地販売促進、市税増加という好循環ができていった。

なお、1976年(昭和51年)7月15日付け朝日新聞には、「川西方式の開発を見直せ/住民負担増に反発/自治会長が市長を告発」という見出しの記事が掲載されている。開発業者の負担分が分譲価格等に跳ね返り住民負担増になっていること、開発が進むことにより、交通問題などの新たな「ひずみ」が出ることなどを指摘した告発だったという

[注03]

 川西市教育委員会発行『教育要覧 平成元年度版』(平成元年)p26を元に記述

[注04]

 川西市ホームページ「旧市立東谷幼稚園を活用した市北部地域こども支援拠点整備に係るサウンディング型市場調査の実施」を元に記述

[注05]

 川西市ホームページ「加茂こども園」を元に記述

[注06]

 川西市ホームページ「川西こども園」を元に記述

[注07]

 川西市ホームページ「川西北こども園」を元に記述

[注08]

 『教育要覧 平成元年度版』p26を元に記述

[注09]

 川西市ホームページ「川西市立清和台幼稚園」を元に記述

[注10]

 川西市ホームページ「川西市立松風幼稚園」を元に記述

[注11]

 『教育要覧 平成4年度版』『教育要覧 平成5年度版』を元に記述

[注12]

 川西市ホームページ「川西市立幼稚園と保育所のあり方について 検討のためのたたき台」を元に記述

[注13]

 「牧の台みどりこども園」のホームページを元に記述

[注14]

 『教育要覧 平成5年度版』p30を元に記述

[注15]

 『教育要覧 平成5年度版』p26を元に記述。例えば、昭和48年度は、一般会計予算の約23%にあたる15億7,800万円の教育予算を計上して整備(『広報かわにし』昭和49年2月15号 第285号 p2の掲載記事から引用)。昭和49年度は、一般会計の約30%にあたる24億4,900万円の教育予算を計上して整備(『広報かわにし』昭和50年4月1日号 第313号 p4の掲載記事から引用)

[注16]

 同上

[注17]

 『川西市30年のあゆみ』p21-23を元に記述

[注18]

 1970年(昭和45年)から1994年(平成6年)までの児童・生徒数の推移は、末尾の別表04-01を参照

[注19]

 年表1971年(昭和46年)掲載写真

[注20]

 1987年(昭和62年)広報課撮影

[注21]

 『教育要覧 平成5年度版』p26を元に記述

[注22]

 同上

[注23]

 末尾の別表04-01を参照

[注24]

 年表1975年(昭和50年)掲載写真

[注25]

 年表1977年(昭和52年)掲載写真

[注26]

 『川西市30年のあゆみ』p68を元に記述

[注27]

 年表1978年(昭和53年)掲載写真

[注28]

 『川西市30年のあゆみ』p69を元に記述

[注29]

 同上

別表04-01 児童生徒数等の推移(『教育要覧』各年度版から抜粋)
幼稚園児 小学生 中学生 児童・生徒数 合計 (人)
園数 (園) 園児数 (人) 校数 (校) 児童数 (人) 校数 (校) 生徒数 (人)
昭和45年 1970年 7 1,146 8 7,218 4 2,557 9,775
昭和46年 1971年 7 1,050 10 8,271 4 2,918 11,189
昭和47年 1972年 7 1,115 11 9,127 4 3,335 12,462
昭和48年 1973年 7 1,253 11 10,271 4 3,819 14,090
昭和49年 1974年 8 1,539 12 11,495 4 4,119 15,614
昭和50年 1975年 9 1,568 13 12,792 5 4,494 17,286
昭和51年 1976年 11 1,613 14 13,513 5 5,058 18,571
昭和52年 1977年 11 1,740 14 14,198 6 5,664 19,862
昭和53年 1978年 11 1,601 14 14,796 6 6,145 20,941
昭和54年 1979年 11 1,485 14 15,611 7 6,257 21,868
昭和55年 1980年 11 1,255 14 15,993 7 6,516 22,509
昭和56年 1981年 11 1,120 14 15,750 7 6,953 22,703
昭和57年 1982年 11 935 14 15,285 7 7,444 22,729
昭和58年 1983年 11 820 15 14,696 7 7,677 22,373
昭和59年 1984年 11 712 15 13,828 7 7,840 21,668
昭和60年 1985年 11 608 15 12,759 7 8,024 20,783
昭和61年 1986年 11 720 15 11,897 7 8,019 19,916
昭和62年 1987年 11 639 16 11,196 7 7,726 18,922
昭和63年 1988年 11 660 16 10,716 7 7,118 17,834
平成元年 1989年 11 635 17 10,390 7 6,473 16,863
平成2年 1990年 11 547 17 10,061 7 5,961 16,022
平成3年 1991年 11 439 17 9,860 7 5,576 15,436
平成4年 1992年 11 426 17 9,576 7 5,372 14,948
平成5年 1993年 10 630 17 9,191 7 5,108 14,299
平成6年 1994年 10 702 17 8,903 7 4,903 13,806
【補注1】川西市教育委員会保管の『教育要覧』昭和45年度阪~平成6年度阪に掲載された各年5月1日学校基本調査による児童・生徒・園児数の数値が元データ
【補注2】赤網掛けの白抜き数値は最大値
【補注3】平成4年1992年の幼稚園数は11だが、桜が丘幼稚園は休園に。翌平成5年1993年に閉園

 

別表04-01 児童生徒数等の推移(『教育要覧』各年度版から抜粋)