(3)文化会館などの社会教育施設

 市制20周年記念事業の一環として、中央公民館とともに文化会館が建設された。全面開館は1974年(昭和49年)8月1日の市制20周年記念日で、記念式典が大ホールのお披露目となった。敷地面積7,035m²、延べ面積6,317.23m²は、旧市民会館の約6倍の規模となった。鉄筋コンクリート一部鉄骨造りで、1階には、最大座席1,202席の大ホール、ロビー、300人収容の大集会室、レストラン、事務室などがあり、4階は結婚式場が配置された。総工費は5億5,771万円だった[注15]。


【写真05-01】文化会館[注16]

 1990年(平成2年)までに開設された文化会館などの施設は下表のとおりであった。

表05-02 1990年(平成2年)までに開設された文化会館などの施設
施設名 開設年月 所在地
文化会館 1974年 (昭和49年) 8月 丸の内町
歴史民俗資料館[注17] 1978年 (昭和53年) 5月 美山台3丁目
総合センター[注18] 1980年 (昭和55年) 11月 日高町
婦人センター[注19] 1987年 (昭和62年) 5月 丸の内町
郷土館[注20] 1988年 (昭和63年) 11月 下財町

 

 歴史民俗資料館は、国や県の補助を得て事業費2,000万円で建設された。一庫ダム建設により水没する国崎地区に所在していた江戸時代の民家で、市の指定文化財の旧下堂家住宅と旧福田家住宅2棟を復元・移築したものだった。


【写真05-02】歴史民俗資料館[注21]

 総合センターは、同和対策事業の一環として建設された、延べ面積約1,530m²、鉄筋コンクリート造り4階建ての施設である。1階・3階が集会室や図書室、視聴覚室、体育室などからなる児童館、2階が学習室や会議室、集会室、和室などからなる隣保館の複合施設(4階は機械室)となっている。

 1965年(昭和40年)8月に、国において同和対策審議会答申が出され、「同和問題の解決は国民的課題であり、かつ、行政の責務」として規定された。1969年(昭和44年)には、答申に基づき「同和対策事業特別措置法」が制定され、生活環境改善、教育の充実等の施策が国、地方自治体で行われていく。川西市は、1974年(昭和49年)10月に、市長部局に「同和部」、教育委員会に「同和教育室」を設置して、同和行政の取り組みを始めた。1976年(昭和51年)4月には、部落解放をめざす自主的運動団体が結成された。そして、1977年(昭和52年)6月に、川西市同和対策審議会を設置。1978年(昭和53年)11月に、同審議会答申があり、市はこの答申を受けて、1980年(昭和55年)3月に、「川西市同和対策事業総合計画」を策定し、市としての同和問題解決に取り組んでいった。総合センターは、この総合計画の3つの柱「①生活環境整備対策②生活向上対策③教育・人権対策」の中の②、③及び「近隣地域のコミュニティの核としての施設」と位置付けられた。


【写真05-03】総合センター[注22]

 婦人センターは、旧保健センターを約7,500万円をかけて改造したもので、鉄筋コンクリート造り3階建てで、延べ面積は1,528m²の施設である。1階には、会議室2室、図書室、共同利用コーナー、2階には、視聴覚室2室、相談室、実習兼工作室、情報提供コーナー、託児室、3階には、ロビー、大小の会議室、軽運動室などを配置し、各種講座・研修会などを開催するなど、身近な文化・教養の場として活用できる施設となった。


【写真05-04】婦人センター[注23]

 郷土館は、北摂地域屈指の大正期の豪邸で、ほぼ当時のままの姿で残されていた旧平安(ひらやす)邸を一部改装した施設である。1,645m²の敷地に、母屋、土蔵、納屋などが配され、門や塀、庭なども当時のまま維持されていたものを保存することにした。また、平安家は、江戸時代から昭和の初めまで近くの多田銀銅山で採掘された鉱石を製錬し、銀や銅を生産していたので、納屋を改装して、鉱山道具や絵図などを展示する鉱山資料展示室を設けた。また、市ゆかりの故青木大乗画伯の日本画161点も藏4棟を改装した美術展示室で公開した。1990年(平成2年)11月には、大正期の洋館として貴重な建築物である旧平賀邸を移築して郷土館を拡張した。

 そして、1996年(平成8年)11月には、故青木画伯の日本画に、同じく市ゆかりの故平通武男画伯の洋画の絵画26点を加えた187点の絵画を常設展示する青木・平通両画伯記念館「ミューゼ レスポアール」が敷地内にオープンした[注24]。


【写真05-05】郷土館[注25]