(2)鉄道高架へ ~川西能勢口駅付近連続立体交差事業~

 川西能勢口駅付近連続立体交差事業は、駅周辺の交通渋滞をはじめとする交通問題等を解消するとともに、阪急電鉄宝塚線と能勢電鉄妙見線の輸送力増強をめざした事業である。事業の具体的な背景と意義については、次の点があげられていた[注16]。

表08-01 川西能勢口駅付近連続立体交差事業
【事業の背景】4点
①川西市の北部丘陵地帯での大規模な団地開発による急激な人口増加[注17]に伴う交通量が増大した。県道川西篠山線との交差部である火打街道踏切の遮断時間は1日7時間にも達し、交通渋滞が問題となった。
②交通の結節点である川西能勢口駅付近において阪急電鉄宝塚線及び能勢電鉄妙見線と平面交差していることと、道路幅員が狭小であることから日常的な交通渋滞をひき起こしている。
③鉄道輸送においても能勢電鉄妙見線の朝夕ラッシュ時の混雑率は200%近くに及んでいる。
④市の中心部である駅北側では、昭和34年ごろから不法建築物が建ち始め、不良住宅として防災上の問題をかかえていた。また、駅南側も昔からの住宅地に店舗、市場等が混在したいわゆる混合市街地を形成しており、住環境は劣悪であった。
【事業の意義】5点
①数多くの踏切を同時に除却できるため、踏切事故、騒音、排気ガス等の交通公害、踏切遮断による交通渋滞が大幅に解消する。
②鉄道により分断されている市街地の一体化を図ることができる。
③周辺の土地利用計画に合わせて、高架下等を多目的に利用できる(駅施設、駐車場、公園など)。
④鉄道跡地を利用して、都市の環境整備を図るなど、広い意味での市街地の再開発のインパクトになる。
⑤鉄道にとっても、安全性の増大、踏切経費の節減、輸送力の増大等の改善がもたらされる。

 

 連続立体交差事業は、まず1974年(昭和49年)4月、川西市が策定した『川西能勢口駅周辺都市整備計画基本構想』の交通計画において“この計画を実現するための核”として位置づけられた[注18]。「どのような立体交差にするか」については、その後、利便性、安全性、経済性、商業活動、再開発計画等から検討を重ねた結果、次のような結論に至った。

①両鉄道を高架化し、現駅を170m西へ移動する。
②能勢電鉄妙見線「川西能勢口駅」~「国鉄前駅」の区間を廃線とし、高架後の「川西能勢口駅」で阪急電鉄宝塚線と能勢電鉄妙見線の相互乗り入れを実現する。
③「川西池田駅」と「川西能勢口駅」とは屋根付き歩行者デッキで連結する。

 

 1975年(昭和50年)6月には、兵庫県、川西市、阪急電鉄、能勢電鉄からなる「高架事業連絡会」が発足し、国庫補助による連続立体交差事業調査、計画案の作成、計画案の地元説明会等を実施していった。その結果、1979年(昭和54年)4月、連続立体交差事業の国庫補助が新規採択される。そして、1980年(昭和55年)3月、兵庫県都市計画地方審議会において都市計画決定がなされ、同年10月、建設省から事業認可がなされた。事業区間は、阪急電鉄宝塚線946m、能勢電鉄889mとなった[注19]。

 工事は、1986年(昭和61年)10月に始まった[注20]。この大事業によって踏切8カ所が取り除かれ、事業に関連した道路整備や駅前広場との相乗効果もあり、交通渋滞をはじめとする交通問題が大きく改善され、阪急電鉄宝塚線・能勢電鉄妙見線の輸送力が増強されていった。

 一方、国鉄福知山線(現JR宝塚線)川西池田駅は、1980年(昭和55年)9月に、福知山線の複線電化に合わせて約300m東へ移動し、新駅舎となった[注21]。これに伴い、能勢電鉄駅前線は廃止されたが、1989年(平成元年)3月には、川西能勢口駅と屋根付きの歩行者専用デッキで結ばれ、乗り換えや買い物がとても便利になった[注22]。

川西能勢口駅付近連続立体交差事業の概要
◆都市計画決定1980年(昭和55年)3月➣1986年(昭和61年)7月一部変更
◆都市計画事業認可1980年(昭和55年)10月
◆事業区間阪急電鉄宝塚線 延長946m 能勢電鉄妙見線 延長889m
◆撤去される踏切阪急電鉄宝塚線 3カ所   能勢電鉄妙見線 5カ所
◆立体交差する道路阪急電鉄宝塚線 5カ所   能勢電鉄妙見線 4カ所
◆都市計画道路17路線
◆概算事業費441億円
◆事業期間1980年(昭和55年)度~1997年(平成9年)度