○整備概要[注40]
主要地方道「川西篠山線」は、川西能勢口駅周辺の市街地と中・北部の大規模住宅開発地域とを結ぶ南北幹線道路である。もともとこの県道は、能勢電鉄や猪名川沿いに位置していたので、軌道敷地や河川区域の制約により道路拡幅が困難な状況にあった。このため、清和台地区から川西能勢口駅周辺までの区間では、著しい交通渋滞が慢性化し、川西市議会でも、その対策が課題として取り上げられる状況にあった。
これらの課題を解決するため、都市計画道路「川西猪名川線」(県道「川西篠山線」のバイパス道路としての新設区間)が1969年(昭和44年)に都市計画決定され、兵庫県施工区間が1981年(昭和56年)度に、市施工区間が1982年(昭和57年)度に、それぞれ事業化されてきた。この道路は、川西能勢口駅前の栄町を起点として、火打地区を経て、萩原台、錦松台、けやき坂、清和台などの大規模住宅開発地区を通り、市北西部の石道に至る延長7,590mの路線として位置付けられたものである。
萩原台地区や清和台地区では、「川西市住宅地造成事業に関する指導要綱」[注41]に基づき、大規模住宅地造成事業と一体的に道路整備が進められた。あわせて、市施工の街路事業や、兵庫県施工の街路事業・道路事業によって、計画区間の整備が段階的に進められた。さらに、川西能勢口駅周辺における市街地再開発事業や川西能勢口駅連続立体交差事業の実施によって、中心市街地での道路の拡幅や交通結節機能が強化されていった。1993年(平成5年)には、いわゆる「開かずの踏切」と言われていた火打街道踏切が除去され、交通事情は大きく改善した。
これら一連の事業の進展によって、道路の拡幅、バイパス道路の全線供用開始に向けた条件が整い、長年の懸案であった交通渋滞の緩和が期待される状況となっていった。
○市施工区間(火打地区~萩原台地区)について
バイパス道路として整備を計画した最南端の火打2丁目から萩原台に至る延長938mの区間は、市施工事業として進める方針だった。しかし、住宅街区が形成されていた火打区間では、地域を縦断する道路計画に対して、地域コミュニティの分断を懸念する声が高まり、住民から強い反対の意思が示された。これを受け、道路建設に反対する団体が結成され、計画の見直しを求める運動が展開された。
1982年(昭和57年)度に、街路事業として着手し、以後、段階的に測量を実施するとともに、用地交渉を進め、用地取得を積み重ねたうえで工事着手に至った。事業の推進に当たっては、地域コミュニティへの影響に十分配慮し、住民との対話を重ねながら、長期にわたり協議・交渉が継続されていた。
工事は、萩原大橋の工事から着手し、1990年(平成2年)度と1991年(平成3年)度に大橋の下部を施工、続いて1992年(平成4年)度と1993年(平成5年)度に橋の上部を施工するなど、事業完了に向けて着実に進捗を図っていった。