(1)「市政を揺るがす大事件」①~市長選挙での買収による市議逮捕~

 1990年(平成2年)3月、川西市議会定例会で、伊藤龍太郎市長は引退を表明した。伊藤市長は、1966年(昭和41年)8月、川西市の第2代市長として当選以来、6期24年にわたり市政を担ってきた。この間、市内中・北部で急増する大規模住宅開発の事業者に対して、全国で初めて、小学校の新設をはじめとする公共施設等整備への費用負担を求めた「川西市住宅地造成事業に関する指導要綱」の運用、「川西能勢口駅周辺都市整備計画基本構想」の策定による駅周辺市街地再開発事業の推進、大阪空港飛行機騒音に対する取り組み、上下水道事業の推進、公民館、市民会館、文化会館、体育館の建設、保健センター、病院、福祉施設、保健施設、清掃工場の移転や新設などの実績を積み重ねてきた[注01]。一方、中・北部の大規模住宅開発による交通渋滞問題の解消や図書館の開館など公共施設の整備などの課題が残った。

 伊藤市長は、後継者として、市職員出身の辻󠄀正男助役を挙げた。1974年(昭和49年)10月から、市長側近として助役を4期続けて務めてきた辻󠄀候補に対して、市議会議員28人(定数は30人で当時欠員2人だった)も共産党の3人を除く自民・公明・民社・社会4党などの議員25人が推薦を決めた。自治会や経済団体、労働団体など各種団体の推薦も幅広く取り付けた。1990年(平成2年)8月19日に告示された市長選挙には、現市政の継承・発展を掲げる辻󠄀 正男候補(67歳。無所属新人。自民・公明・民社・社会推薦)、道路問題の解決を重点課題とする安田末則候補(71歳。無所属新人。前市議・元市議会議長)、住民本位の市政実現をスローガンに掲げる内藤近蔵候補(66歳。無所属新人。団体役員・共産推薦)の3人が立候補した。そして、8月26日には投開票が行われた結果、大差で辻󠄀市長が誕生した[注02]。

 ところが投開票日の翌8月27日、市長選挙における辻󠄀後援会による買収事件が浮上し、辻󠄀後援会会長と市議会議員数人が兵庫県警捜査二課の事情聴取を受けた後、辻󠄀後援会の会長と市議会最大会派の政友会幹事長が買収容疑で、市政同志会幹事長、新政同志会幹事長、政友会副幹事長の3人が被買収容疑で、それぞれ逮捕されたのだった。7月16日に箕面市内のホテルで「川西南北幹線道路事業促進協議会」の総会が構成市議会議員25人中20人の参加により開かれ、この会合で、辻󠄀後援会会長と最大会派幹事長から各会派幹事長を通じて議員へと各々現金30万円が手渡された、という公職選挙法違反容疑だった。さらに、8月下旬から9月にかけて、社会党幹事長、公明党幹事長、民社党幹事長の3人が追加逮捕された。結果、逮捕・起訴7人、起訴3人、起訴猶予3人という事態となった。8月30日には、市議会議長の自殺という痛ましい出来事も続いた[注03]。

 9月12日に初登庁した辻󠄀市長は、市長辞任を求める市民約100人の抗議の声に迎えられた。市民がこれほどの人数で市政に対して抗議の声を上げたのは、川西市政始まって以来のことだった。市民の抗議行動の中心は、同年6月に結成された「川西市の将来を考える会」(代表:松岡正章・甲南大学法学部教授)だった。「主義、信条、政党に関係なく、市民みんなの声を市政に反映させよう」という無党派市民の会は、川西市では初めての市民主体による政治的組織だった。同会は、中・北部の大規模住宅開発の開始から10年以上が経過した中で、南北道路の未整備による交通渋滞、図書館などの文化施設の少なさや保育所の不足など、急激に成長した市勢に追いつかない市政に対する不満を抱いた市民約50人によって同年6月に結成されていた[注04]。