高度経済成長期がピークに達した昭和40年代、川西市は住宅都市としての方向性を明確にとるようになり、昭和30年代の政策であった工場の誘致方針を転換していった。工業にかかる統計的な推移は下表のとおりである[注08]。
| 年 | 工場数(件) | 従業員数(人) | 製造品出荷額(円) | |
|---|---|---|---|---|
| 1960年 | (昭和35年) | 178 | 2,758 | 45億5,346万 |
| 1965年 | (昭和40年) | 196 | 3,738 | 108億8,188万 |
| 1970年 | (昭和45年) | 279 | 5,448 | 333億7,694万 |
| 1975年 | (昭和50年) | 339 | 5,002 | 533億4,232万 |
| 1980年 | (昭和55年) | 320 | 4,550 | 821億4,993万 |
| 1985年 | (昭和60年) | 316 | 4,496 | 850億8,379万 |
| 1990年 | (平成2年) | 237 | 4,363 | 1,154億8,897万 |
| 1994年 | (平成6年) | 197 | 3,797 | 942億5,452万 |
製造業の中で特筆すべきは、川西市の地場産業である皮革産業である。火打地区の皮革産業は、江戸時代から猪名川沿いに発展してきた。猪名川の水を使った柔らかい皮革製造で名高く、明治・大正期を経て高度経済成長が進んでいく昭和30年代には、皮革産業の事業所は、中小企業が大半だが90余りに達した。特に、第2次世界大戦後、柔らかい質感が世界的な反響を呼び、ゴルフ用手袋、婦人用手袋、スキー用手袋や衣料用・袋物用皮革などの製品が輸出用として製造販売された。昭和の終わりころまで、その輸出割合は、地区の総生産高の約10%に達していた。なお、地場産業である皮革産業の製造工場から出る皮革汚水による猪名川水系への影響は大きく、水質汚濁や異臭に対する近隣からの苦情も多かった。そのため、市として、川西市火打前処理場を整備し、1969年(昭和44年)4月から稼働した[注09]。