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の一カ所の試錐でたしかめられているが、これより南部ではいまのところ確認されていない。北部は、小坂鉱山

を中心にして分布し、石英安山岩・石英安山岩質凝灰岩・泥岩・凝灰岩の互層などからなっており、いわゆる黒

鉱鉱床の胚胎基準として重要であるとされている。

女川階の海では、大滝層がつくられた。それは嫌気性の増深海域で、奥羽脊梁山脈の西縁部では、大葛層の堆

積をもたらした西黒沢階の海にくらべて、堆積盆地は大きく、構造運動をともなわない、安定水域として均一質

に堆積した性格をもっていた。主体をなすものは、石英安山岩と軽石凝灰岩であり、盆地内で独立標高をなして

突出している、黒又山(二八〇・六メートル)・軍森(二〇六・六メートル)・土筆森(二六三・〇メートル)などは

前者の石英安山岩からなり、軽石凝灰岩をもふくめて広い分布をもっている

盆地内低平地で、その後の時代の、厚い堆積物(第四紀層を主に)で上層がおおわれている内深部にも、さき

の黒又山などの山体をつくっているものと同質の、石英安山岩でできた山体が、陥没してなお、その山頂部位を

地表ちかくにのぞかせている。そのようすは、盆地内各地の試錐による推定からもうかがい知ることができる。

船川階にいたって、その海は鹿角地域等で浅海化する。奥羽脊梁山脈の西側にそって、この海の前期の堆積物

が少ないことから、海退があったと認められている。したがって、この鹿角地域にも、船川階前期の堆積層はな

く、陸地として浸食をうけたものであろう。しかし後期にいたってこの地域は再び海進をうけ、遠部層の堆積を

みることになる。その後、漸次内陸水域へ移行し、また酸性火山活動の噴出物の供給により、一部では陸域にな

る。この遠部層は、花輪盆地の縁辺部に逆S字状に分布していて、試錐により盆地下にも連続していることが認