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昔、青垣山がのどかな影を映していた鹿角湖も、人々がそこに暮らすようになる頃には名残りの水をところどフ

ろに滞め、鏡のように白く輝いていた。人々はその辺りや谷川の浅い流れで漁をし、山野の幸に恵まれた生活を

していた。彼等の生活舞台は、原始時代のある時期、案外温和で平和な"かづの国原"であったのかもしれない。

しかし数千年にわたる生活舞台も、十和田湖中ノ湖の噴火をはじめとする自然環境の変化により、今はその姿を

ひっそりと土中に埋めたままである。

市内を流れる河川の流域には、段丘がよく発達している。これらの地形のうち、特に平坦な火砕流段丘は、遺跡

の数において、北鹿地方のうちでも比類をみないほどである。

市内北部を南流する小坂川と十和田高原に源を発する大湯川の両岸は、ほとんど起伏のない十和田火山源の火砕

流段丘である。そのところどころには、火山岩の溶岩または岩床の突出した山地が連なる。大湯川左岸には、風

張、柴平を経て花輪に至る一連の平坦面が形成されている。これがいわゆる風張台地であり、大湯環状列石をそ

の上にのせている。台地は標高約一八〇メートルで、大湯川との比高は約四〇メートルである。大湯川の両岸には

五段の段丘面を認めることができる。十和田火山灰層(または下位火山灰層)とその二次層を主体とする風張台

地は、第二段丘面にあたるものである。対岸の関上~蟹沢~小坂に至る平坦面(関上段丘)も、これに相当する。

段丘崖は、シラス台地特有の急崖をなすが、これは浮石層堆積後の急激な侵蝕作用を物語るものである。台地下

の第三段丘面に、大湯環状列石を覆っていると同じ大湯浮石層をみることが出来ることから、当時の河床を第三

段丘面あたりと考えることができる。台地の東方及び対岸の黒森山周辺には、かなり開析されて、いわば丘陵化し