テキストを表示

鳥野遺跡、源田平遺跡、それに大湯環状列石付近に発見された古代の竪穴住居跡などから見て、大湯浮石層の

降下した時期は平安時代後半のことと考えられる。鳥野及び源田平遺跡発見の竪穴住居の大湯浮石層の堆積状況

から見て、大湯浮石層が降下した時期以前の竪穴住居跡は、近年まで凹んだ状態で発見されることは不可能であ

る。このように見てくると菩提野遺跡の竪穴住居跡は凹んだ状態で発見されたことだけ見ても大湯浮石層以後の

ものと考えてよいものである。

鳥野遺跡と源田平遺跡は庄内昭男氏によって竪穴住居跡および、出土土器から鳥野遺跡のものが古いと考えら

れた。この見方は正しいと考えられる。これでここに紹介した鳥野遺跡、源田平遺跡、菩提野遺跡の三遺跡は

新菩提野〓源田平〓鳥野円

という編年が考えられるにいたった。(富樫一九七八・どるめん)

とのべている。また大湯環状列石付近から発見された竪穴住居跡に関しては、床面まで浮石層が達していること

から、火山灰降下時期直前に廃棄されたものと考えている

東北地方北部とりわけ秋田県における土師器編年が立ち遅れている現状において、この火山灰編年の果たす役

割は大きい。東北縦貫自動車道建設に伴う発掘調査により、調査資料が増加している当市において、土師器編年

の糸口は、鹿角地方全域を覆う大湯浮石層の各遺構の堆積状況の比較検討にあるといっても過言ではあるまい。