テキストを表示

らは住居跡が重複して多数検出されることからも、定住化の傾向がますます進んだものと考えられている。なお、

中期後葉から末葉の時期には、東北地方及び北陸地方には複式炉と呼ばれる炉が出現する。

後期には竪穴住居に加えて敷石住居などが出現するが、平地住居については、「平地といっても地表に建てる

のではなく、上の黒土をかきあげて地盤まで出し、ここを床にする。かき上げた土は床の周囲につみ土堤にして

めぐらすと、一種の浅い竪穴のようになる」(八幡一郎『世界考古学大系1日本〓』)というように、ローム面ま

で達しない浅い竪穴住居と解されている。

また敷石住居は、この平地住居の床に石を敷き並べたものであるが、これについて江坂輝弥氏は「この遺構の

灯跡には火をたいた痕跡が少なく、焼土の推積もほとんど見られな

いこと、日常什器として使用される土器の出土量が少ないこと、祭

祀用具と思われる非実用的な土器や石棒の出土があることなどから

任居以外の遺構」と考えている(『古代史発掘2・縄文土器と貝塚』)。

後期後半から晩期の住居跡の検出例はその遺物の量に反して極め

て少ない。これは、後期以降の、ローム面まで達しない浅い竪穴住

居(平地住居)が一般的となったためと思われる。

一般に時期が下るほど集落の規模が大きくなり、後期には馬蹄形

復原された清水向竪穴住居

(県立博物館蔵

状の集落形態が完成することが知られている。高位の狭い舌状台地