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(工藤竹久「北日本の石槍・石鏃について」『北奥古代文化』9号一九七七
石槍から石鏃への移行の理由は、矢を多量に射ることによって成果を上げる集団による組識的な狩猟形態へ
の変化によると考えられる。また無茎から有茎への移行は、矢柄への固着からみた技術的進歩とみることができ
るであろう。また石鏃の茎部にアスファルトが付着している例が、東北地方を中心に知られている。このアスフ
アルトは天然のもので、固着の接着剤として使用されたものである。
さて、縄文人の狩猟の対象物は何であったろうか。動物遺存体は酸性土壌中では腐蝕し、特別の条件下(貝塚
等)でなければ遺存しない。貝塚に見い出せる動物の遺骨中で、最も多くみられるのは、イノシシとシカである。
このことから、縄文人は好んでイノシシやシカを捕獲したものと考えられる。この他に、哺乳類として、ウサギ・
タヌキ・キツネ・アナグマ・テン・サル、鳥類として、アホウドリ・マガモ・キジなどが知られている。貝塚中
には幼獣や雌の骨が少ないという。このことから、狩猟に対する規制があったことが推測される。自然依存度の
高い縄文時代において、特に狩猟技術の発達した段階では、そうした統制は必要なことであったろう。
また、貝塚からはイヌの骨格もしばしば発見されるが、他の動物と違って、丁重に埋葬された例が知られてい
る。このことから、イヌは唯一の家畜であり、狩猟の際の良きパートナーと考えられている。
最近、TピットやOピットと称する、おとし穴と考えられる遺構が北海道から東北地方北部に検出されている。
このような事から、イノシシやシカなどの大形獣に対し、おとし穴や罠、柵などによる捕獲方法も行われていた
と考えられている。