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3、休息の姿勢
4、死霊が遺骸から遊離して、生者に害を加えないよう霊を閉じ込める
等の説があるが、現在、2、4の説が有力である。
縄文時代の中期以降には屈葬とともに伸展葬が出現する。しかしながら、この屈葬から伸展葬への移行は一様
でなく、関東地方では後・晩期には伸展葬がかなり顕著にみられるのに対し、東北地方北半部を中心とする亀ケ
岡文化圏では、依然屈葬が一般的であるという地域差がある。また中期以降には前述の土拡墓以外に、時代と地
域をかぎった特殊な葬法が出現する。
その一つは関東地方の中期にみられる廃屋墓である。この葬法は竪穴住居の床面に複数の遺体を伸展葬にする
もので、埋葬と同時に家屋は遺棄されたものと考えられている。
また中部山岳地方や関東地方西部には、中期に「埋甕」という風習がみられる。これは竪穴住居の入口床面下
に甕が埋められているもので、その中に幼児の骨片や歯などが認められることから、幼児の埋葬施設と考えられ
ている。渡辺誠氏はこの埋甕風習について「死産あるいは夭逝した子供の魂が再び母親の胎内に宿ることをねが
う、一種の妊娠呪術」としての性格を考えている(渡辺誠「縄文時代の埋甕風習」『考古学ジャーナル』〓号一九
七〇)。屈葬から伸展葬への移行や、埋甕風習の出現から、縄文時代中期に埋葬観念に大きな変化があったと
推定される。この点について渡辺誠氏は中期中葉以降、「霊魂の輪廻を信じる霊魂観が人々の心に形成され」、ま
た「屈葬人骨に対するような悪霊観がうすれて、人々の願望をかなえてくれる善霊、すなわち祖霊観が確立され