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発掘された野中堂遺跡(『発掘調査報告書』から)
同年七月八日から十日まで、中通り工事現場・菩提野竪穴群・内野の組石
遺構と思われる遺跡を調査された。浅井氏の日記はさらに「九日朝八時出
〓、先づ耕地に足を向く(中略)ストンサークル様の暴掘のアトハ、石柱
など取除られわずかに小石を残せるのみ、穴は以前見し時より没められて
めり、径一丈位に見ゆるなり、武藤氏も只呆然として立するのみ(中略)
石柱倒れしまゝ見ゆる二、三カ所ありしも、是又抜去られて跡だになし」と。
この折の調査を、武藤氏は「鹿角郡大湯町に於ける遺跡の研究」の中で
七、野中堂遺跡と類似積石塚」として『秋田考古会会誌』2-5(昭六
に発表された。武藤氏が浅井・高木氏の案内により現場に着いた時には
既に発見当初の原形は失われていた。武藤氏は
水路の両側に問題のストンサークル即ち環状石籬があったと浅井氏
か云われるが、好事家共が発掘して今は原形を全く失ひ、其処には直
径一間半位の穴と周囲の所々に大小の自然石が少し許り散在している
たけである。(中略)最初此処に径二間程の石盛があって其上は藪と
なっていたので、耕地整理の人夫達が其藪を切り払ったところが、石
盛の根足に長さ二、三尺の石柱が数十本立て廻されてあった……。