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である。野中堂遺跡は、外帯の外周線の径が約四二メートル、内帯が一二メートル。万座遺跡は外帯が四六メー

トル、内帯が一八メートル、外帯幅約八メートルほどである。各々の帯は単なる石の乱雑な配置ではなくて、径

なり辺の長さが一~二メートル前後の一定の石の組み合わせた単位(組石)が配置されている。とくに両遺跡の

外帯と内帯の間には、中心より少し北西の位置にきわだって見事な構築を示す特殊な石組みがある。いわゆる「日

時計」といわれる組石である。万座のそれは外帯に近いところにあり、野中堂のものは内帯に近い位置にある。

谷組石の下には、長径一メートル前後、深さ七〇センチメートルほどの小判形の土拡がある。また万座遺跡の

東北方約一〇メートルの位置に、住居跡が一棟検出された。これらの遺構の年代は、出土土器(大湯式土器につ

いての項参照)からみて、縄文時代後期のものであることが判明した。

〈組石遺構>

組石遺構に番号を付して登録した。万座遺跡では外帯四三カ所、内帯四カ所。そして外帯と内帯の中間にある

いわゆる「日時計」の計四八カ所。野中堂遺跡ははなはだしく破壊のあとが見られたが、外帯三二カ所・内帯一

一カ所、それに日時計の計四四カ所を拾い上げた。その結果組石にはいろいろな形態があり、調査者の後藤守一

氏はAからKの九形式に分類し、そのなかの五形式はさらに二、三の亜式に細分された。その形式の主なものは

〓、中央に柱状の立石をおき、まわりに細長い平石を中心から放射状にならべ、その外廓を石でかこんだもの。

〓、四隅に立石を配し中央に平石をおくもの。〓、四隅の立石の間にも石をならべるものなどである。

泉状列石は、これら一〇形式以上の組石が一カ所に混在してサークルをなしているものであり、よく遺構の残