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国営発掘に参加し、報告書の総括を執筆された斎藤忠博士は、一九七〇年大湯温泉における縄文時代の配石遺

構についてのシンポジウムで「環状列石は個々に組石を集合させて環状に構成させた遺跡であり、個々の組石墓

を集合させた縄文時代の墓地である。今後は祭祀遺跡とかの議論は過去のものとして墓地として縄文文化の中に

どのように位置づけ、どのような性格をもつのか」と述べ、今後の解決すべき問題を提起された。一方江坂輝〓

氏は、大湯磐雄博士の論である石信仰による祭祀説をふまえ「すべてを墓地遺跡とみるのは無理であり、始めは

祭祀の場所としてつくられ、自分達家族の遺体もこの祭祀の場所に葬り再生を願うというようなことで、後に慕

地的性格も加わってきたと見ることも出来そうである」とのべ、「縄文文化人の精神的な面の理解」を強調され

た。また大館市・鹿角市で活躍した奥山潤氏は「米代川の中流域とその支流域の火砕流段丘遺跡の配石遺構のう

ち、墳墓と認められた遺跡は七カ所あり、これ以外の確かに人為的に河原石を配した遺構のうちで、墳墓以外の

遺構はまだ発掘していないし、墓構でないと思われる配石遺構を発掘したことはなく、配石を伴わない墓は存在

しないと思う」とのべ、鹿角を含む北鹿地方の配石遺構の性格を墳墓といいきっている。

祭祀遺跡であるとする考え方は、石崇拝による原始宗教と山岳信仰の祭儀の場であるとする説が基本にある。

又配石遺構が富士山型の山の望める位置に多くあることも山霊(神)の降臨の祭壇であり、大湯環状列石からも

黒又山、独鈷森山等が眺望できることから祭祀説を裏づけるものであろうとの見方もある。あるいは石信仰によ

る各家に所属する石組みの集合とみることも出来る。しかしこれについても説得力にやや欠けるような気もする。

県墓説、祭祀説に決着をつけるものは、人骨もしくは副葬品等の埋葬遺体を実証する土拡の検出であろう。し