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かし大湯の場合は、遺跡全体が大湯浮石層に覆われており、土拡も下位火山灰(十和田火山灰)に掘り込まれて
おり、人骨等は酸性土壌により溶解されていることも十分に考慮する必要がある。副葬品の有無についても一九
六九年に奥山氏が指摘した土拡底面確認の問題もある。小坂町環状列石では、見かけの土拡底面下に副葬品があ
ったし、富樫氏は土拡の掘り方を推測し、土拡精査に一つのヒントをあたえた。墳墓であるか否かは、土拡及び
副葬品から確認すべきであろうとの考え方については、土拡がなければ墓でないと推論することに誤りはないと
しても当っているだろうかと疑問視する考えもある。
これら墳墓遺跡説・祭祀遺跡説をまとめて阿部氏は「配石は墓と祭礼の場が結びつき、祖霊の祭りや豊饒祭祀
の場となった」のであるという。ここで今一度昭和十七年の調査を振り返りたい。「此日巳に祖先の墓域たるこ
とを確認し」慰霊の祭りをしたのである。後年吉田氏は奥山氏に書信を送り、組石下の土拡は墓拡だと考えると
のべられている。
〓組石の形式の違いは何を意味しているのか。
国営調査で組石を調査された後藤守一氏は「一時代における祭祀の斉庭の如きが、かく勝手に個性をあらわす
ものであろうか」(『大湯町環状列石』)といい、形式の違いが墳墓として、より可能性のあることをのべられた。
大湯環状列石が墳墓の集合であるとするならば、まず組石そのものは標識的なものとしての墓標と考えられる。
そして形式の違いは、年令別、男女別、出自等による石の組み方の相違であろう。そのなかでもいわゆる日時計