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第2図枯草坂古墳出土刀装具(『秋田県史』から)

……此剣は普通の古墳より発見せうるものとは異にして、年代

は奈良朝のものらしく(註・内地の普通の古墳は大てい奈良朝前の

ものに有之候)正倉院御物中にある唐様の系統に属し、恐らく当時

の授刀衛の中衛府其他御門兵衛などの兵士の帯びたるものと考えら

れ候、(中略)大正元年枯草坂より曲玉等と共に出で候ものも、〓

かに残れる帯取金具の形より察すれば、やはり同じ系統のものらし

く思われ候に、更に泉森のものが同じ唐様刀系のものなる事を一目

して、非常に愉快に感じ候ひし事に候……」と述べている。

以上の事から推測すると、枯草坂には少なくても二カ所に古墳が

あったと思われる。いわゆる群集墳といわれるもので、社会背景と

して、世襲的階層が成長していたことがうかがわれる。また、地名

の泉森は、えぞ森ではないかと探っていったら旧名はやはり蝦夷森

と言っていたことがわかった。秋田県でも、蝦夷台古墳(若美町)

とか蝦夷塚古墳群(雄物川町)などがあり、岩手県にも同地名の古

墳が数多く見られる。