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石野古墳群のマウンド
わる文書によれば、山形・羽黒山系の山伏が三光院と称し、文永一
牛(一二六五年)海沼館に住したこともある、その三光院の墓とも
伝えられる。
山伏系の修験者の墓の類例は比内町・中野円墳状遺構の近くにあ
り、江戸時代以降と見られている。また、円墳状の塚に現代の墓を
乗せたものには石野に例がある。
それにしても、出土品が不明の現在、時代を画するものがなく今
後の調査を待つより他はないが、切子玉と思われるものが一〇個〓
ど出土したと海沼氏が証言されていることからいえば、あるいは古
墳かもしれない。
(鹿角市十和田瀬田石字石野)
現在、三基のマウンドが確認できる。古墳かどうか判定できるも
のは何もないが、石野部落の柳沢直次郎氏の話から推測すれば、喜
さ一・五メートル程の墳丘の頂下に、石らしきものがあったとされ
ている。
石野はかつて、白根金山が盛えた頃の寺のあった所といわれてい