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出土品や遺構は、住居跡四棟・溝状土拡三・掘立
柱建物跡一・他に竪穴遺構一などが認められ、又
出土品としては、土師器坏でしかも墨書土器といわ
れるものが四点ほど出ている。さらに、須恵器甕・
鉄釘などである。
特に、住居跡第四号と呼ばれる遺構は、大湯浮石
層におおわれていて、カマドは南側西寄りに設けら
れ、カマド周辺からは多くの土師器〓が出土し、そ
の中に墨書土器も含まれている。土師器坏は底部に
回転糸切り痕を残しており、調整としては、底辺部
をケズリ調整したもの、内面ヘラミガキし黒色処理
したもの、ロクロ調整しただけの赤〓色の土器などがある。破片ではあるが須恵器甕も伴出し、外面にタタキ目
痕、内面にアテ板の痕が残っている。これらのことから、この遺跡は十世紀初頭、平安時代前半ごろと考えられ
ている。
以上は、第一次発掘調査(庄内昭男氏による)結果の大要であるが、第二次発掘調査(伊藤種秋氏による)で
は、中世頃まで降る、入り口らしい施設をもった竪穴住居跡が検出されている。
第6図小平遺跡第4号住居跡
〓上まを生をとるた失次秀通査(伊便状氏による)で