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れるもの六点が出土している。しかも自然石で構築され、コの字形の列石状をなしたカマドが、南壁中央部に認
められた。
さらに、この菩提野遺跡は、一九五一年(昭和二十六)と一九五二年(昭和二十七)に、秋田県教育委員会と
文化財保護委員会の合同によって発掘調査されている。この時は特に大湯浮石層と遺構とが、どうかかわりを持
っているかという観点から調査がなされた。そして一二個の竪穴は、かつて開墾により六個が確認されていたが、
その中の第九号と呼ばれる竪穴住居跡について、くわしく報告されている。竪穴の周囲には土堤がめぐらされ、
一辺七・二メートルの方形な平面をもち、南壁にはカマドが設けられていたが、竪穴内には柱穴跡は発見されな
かったようである。そして、出土土器では、底には木葉痕がみられ、外形からは鬼高式に近似していたとされて
いる。いわゆる内黒の土師器〓で奈良時代あたりと考えられた。
これら発掘された遺跡の時代比定は、出土品や遺構の特徴によって決定されるが、当鹿角地方では、大湯浮石
層がそれを決定づける鍵とされている。この点についても、報告書では細部にわたって検討されているが、考士
学や地質学の進展により、かなりな面まで明確になってきている
〓えば、鷹巣の胡桃館遺跡に見られる埋没家屋は、千年前のシラス洪水時とされているが、その原因となった
降下火山灰がどう鹿角の遺跡とかかわってくるのか、という大きな問題があったわけである。この事に関しては、
富樫泰時氏が「大湯浮石層と鹿角盆地の遺跡」で論じている。それによると、この菩提野遺跡の年代は、古代末