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坂上田村麻呂と月山神社
毛馬内の元県社月山神社の由来は古く、別当和田家の記録『袖扣』に
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月山神社
呂立始御勧請人王五十一代平城天皇大同二年亥春田村将軍東夷追討の砌御立願奥州七ヶ所え月山社御勧請成
され候由申伝えに御座候御建立以来縁起重宝御宝殿に安置の処往古三度の野火にて堂社共炎上仕り候往古三度の
焼失年号は承和年中大永年中延文年中と申伝えに御座候文禄年中武田
靱負殿再建(下略)
とあり、田村麻呂の勧請を述べている
坂上田村麻呂は、征夷大将軍として延暦二十一年(八〇二)鎮守府を
胆沢城に進め、翌年志波城を築いた。しかし同二十四年征夷中止の建議
が採択されたため、大同年間の北進や米代川流域進出は事実上あり得な
かった。
延喜式神名帳に「出羽国飽海郡月山神社」とある月山神社は、いわ
ゆる出羽三山の一つで、社記によると推古天皇十三年(六〇五)に崇崎
大皇の皇子蜂子皇子(能除大師)によって開かれたという。貞観十八年
(八七六)正三位に叙され、元慶三年(八七九)に神封二戸が寄せられ
同四年従二位に位階を進められた。当時、天変地異や大乱に際しその地