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知られるように後拾遺集は白河天皇による勅撰和歌集
詞花集は崇徳上皇、千載集は後白河上皇による勅撰和歌
集である。袖中抄は顕昭の著わす語釈書として名高い。
ただ「錦木」「狭布の里」は本来陸奥国の歌枕として扱
われるべきものと思われる。
歌枕は、歌にしばしば詠まれる題材・風物・名所のこ
となので、もともとその所在について諸説を生むことが
多い。例えば橘南谿『東遊記』後編に、四七錦木として
錦木の古跡は、南部領と津軽領との境、小湊と云う所
の傍にあり、かい道より東南の方へよほど入込みたる
所なり。其跡に、ツキと云う木の檜木に似て殊に大木
なるが壱本残り有りしが、四五年以前に雷火にて其木
焼失せりと也。又南部三の戸の西の方の在中に錦木の
古跡とて、巡見使なども一見の地ありと云う。何れが
誠の古跡なるにや。
と記され、『東国名勝志』には「錦木塚は安佐虫、小湊
錦木塚の歌
=遺錦木はたてなからこそ朽にけれけふの細
布むねあはしとや能因法師
詞花集おもひかねけふたてそむる錦木のちつか
もまたてあふよしもかな大蔵卿匡房
同いたつらにちつか朽にし錦木を猶こりす
まに思ひたつかな藤原永實
十載集錦木の千束にかきりなかりせは猶こりす
まにたてまし物を賀茂重保
堀河院百首いはねとも思ひそめてき錦木のはひさす
色に出やしなまし藤原仲實
同錦木の千束の数は立てしをなと逢事のい
またたくなる藤原顕仲
六百番歌合錦木にかきそへてこそ言の葉も思ひそめ
つる色もみゆらん藤原顕昭
千五百番歌合たてそめてあふ日をまちし錦木のあまり
つれなき人心かな小侍従
新後撰人しれぬ心にたてつるにしききの朽ぬる
色や袖にみゆらん前大納言隆房
同うき名をや猶たてそへん錦木の千束にあ
まる人のつらさに花山院内大臣