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安日勇猛怪力コレヲ捨トナシ北海外浜ニ放ツ安日自ラ此一郡ヲ開ケリ数代孫安大夫頼時永承年中奥六郡主トナリ」
云々とある。また『平泉雑記』安倍家系ノ条に「(長髄彦ノ)兄安日ハ東国ニ追放セラレテ津軽ニ住シ卒度浜安
東浦ヲ領ス三十八代斉明帝ノ御宇ニ蝦夷日本ニ襲来セシニ帝安倍比羅夫ヲ将軍トシテ差向ラルト云トモ毎度利ヲ
失ヘリ此時安日が末葉ニ安東ト云者アリ比羅夫ガ陳所ニ来リ告テ云我ハ是安日カ末葉也往昔安日神武帝ノ勅勘ヲ
蒙リテョリ今ニ至迄赦免ナシ願クハ先祖ノ罪ヲユルサレ先鋒ヲ玉ハバ蝦夷ヲ討退ベシト望ム比羅夫コレヲ奏聞シ
勅許アリシカバ安東ヲ先鋒トシ終ニ勝コトヲ得タリ比羅夫安東ガ功ヲ賞シ安日トモ書ス」(以下安東が末孫致東、
その末葉国東の事蹟省略)「国東カ子頻良其子安東太郎頼良後ニ頼時ト改メ」と載せている。『藩翰譜』第八下
秋田系図、『寛政重修諸家譜』巻第六百三十一安倍氏秋田系図なども同じく長髄彦の兄安日を祖としている。こ
のように、安倍氏が奥六郡に南下し勢威をふるうまでの実力は津軽地方で培われたとする説に、わりと根強いも
のがある。
高橋富雄氏は、中世に浄法寺天台寺領が津軽田舎郡平内郷・鼻和郡目谷内、平賀郡内日照田にあったことと関連
し、「北条代官として安東氏は蝦夷管領の称を許されておりますから、これは、何のことありません、古代、安
倍氏が許されていた俘囚長の称を、中世的に再興したという性質のものだったのです」「安倍氏が没落して、こ
のさいはての地にのがれて、また盛り返したという程度のことでなくて、古代の安倍時代から、奥六郡と津軽と
の間にも密接な、と言いますと組織的、ということですが、そういう関係がもうできていたために、本国安倍が
滅んでも、津軽安倍に、これを中世的に再興できる基盤はすでにととのえられていたということではなかったか。