テキストを表示

小豆沢の大日堂

2号)として、さらに論を進め、天台寺の新本尊丈六像は大日如来

像で、小豆沢大日信仰・独鉗大日信仰が天台寺大日信仰と一連のも

のであること。ダンブリ長者伝説はこの大日信仰を説話化したもの

であること。これら大日信仰の連環は「大日道」として津軽街道沿

いに岩木川河口十三湊まで通じていたと思われること。そして天台

寺が「糠部郡寺」の意味をもち、平泉藤原氏はこの政策をいっそう

おしすすめたから、小豆沢大日堂は「鹿角郡寺」、独鉗大日堂は

比内郡寺」の性格のものであろうこと(「天台寺文化の周辺」『天

台寺研究』3号)などの新たな問題を提起された。

これらの天台信仰は現実には修験道の形で広く鹿角の地にゆきわ

たったものであると考えられる。そして鹿角の名山五ノ宮獄は、継

体天皇第五皇子を祀る修験道行法の霊山であるが、ダンブリ長者の

娘吉祥姫が妃となった継体天皇の第一皇子は、すなわち修験道最高

の本尊である蔵王権現と習合する安閑天皇であることについての指

摘は、新野氏によってなされたところである(『古代史上の秋田』)

毛馬内『不動院古記録』のなかに