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第一節鹿角郡地頭群像

一、鎌倉幕府と鹿角

源頼朝の方針

又治五年(一一八九)七月二十九日に白河の関を越えた源頼朝は、二十八万余の大軍をもって

またたく間に奥羽両国を制圧した。九月二十日、平泉において、吉書始の儀式をおこない、正

式な奥羽統治の開始を宣言した。頼朝は、幕府による全国支配の総仕上げとして奥羽攻略を強行しただけに、そ

の統治は幕府地方支配制度の典型として実施されることになった。当然鹿角の地にも新しい時代の波が押し寄せ

てくる。

源頼朝の方針は、これまでの国衙機構を地頭制度の中に完全に包括してしまうことにあった。その国衙機構と

は、院政期の奥羽両国において、国府・鎮守府と平泉藤原氏とが中心となり、すでに編成替えを終えていた中世