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二、鹿角郡地頭職

村地頭の文書

地大文之之左行其業

(ア)安保行員宛関東下知状

鹿角郡関係の鎌倉期文書で現在判明しているのは、〓信濃安保文書文保二年(一三一八)十二

月二十四日関東下知状、〓京都八坂神社文書正中二年(一三二五)十二月六日安保行員譲状案

の文書二点である。それに、〓神奈川金沢文庫古文書嘉暦元

牛(一三二六)十二月二十日東盛義所領注文案、〓同(嘉暦

二-四年頃)下総国橘庄上代郷内称名寺領分年貢注文案、の

二点を加えることができるのでないか、と推定されている

また、〓遠野南部文書建武元年(一三三四)三月二十一日陸

奥国宣、〓同文書暦応二年(一三三七)五月二十日曽我貞光

車忠状(後掲)、〓京都八坂神社文書暦応二年九月二十日成田

基員譲状案、以下の鹿角の動向を記す南北朝期文書も、鎌倉

期の状況をかなりよく投影しているとみなすことができる。

このうち、〓は、幕府が安保行員の祖母藤原氏女の所領跡

地である鹿角郡内柴内村を行員に与えた文書である。藤原氏

女とは成田家資の娘であり、安保信員に嫁した女性であった。