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また、小豆沢大日堂境内に正安二年(一三〇〇)銘の板碑が
あり、「藤原朝臣秀□・秀有」の施主名が刻まれている。この
施主名について、これまで、戦国末期の小豆沢館主小豆沢駿河
が秋元氏系と伝えられてきたことから、秋元氏と推定し、鎌倉
期鹿角四氏秋元氏の一証左としてきた。しかし、鎌倉武士団の
上総御家人秋元氏は、幕府引付奉行を勤める秋元氏や阿波国櫛
渕庄新補地頭となった鎌倉御家人秋元氏の例にみられるように
平姓なのである。藤原姓宇都宮氏系秋元氏(『秋元系図』)が
成立するのは、後年の南北朝期とみられる。
方、この大日堂板碑「藤原朝臣秀□・秀有」を成田氏と仮
定したとき、鎌倉末期の武蔵国成田郷の藤原姓成田氏惣領家に
は成田家綱・秀綱らがいる。この板碑が造立当時から大日堂境
内に寄進されていたとすれば(万延元年『大日尊御参詣御用書
笛帳』)、古代から鹿角郡の開発と信仰の中心地であったとみ
られる大日堂に対して、鎌倉期の鹿角郡地頭も当然関与したは
ずであり、板碑施主には成田氏が最もふさわしい人物となる
小豆沢の板碑と御用留帳