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な所当官物を組織的に徴収する機構が郡単位に設定されていたからであるといわれる。中世国家の基本年貢であ

る所当官物は、大田文に登録された公田を基準に原則として田地一反別に米三斗の賦課であったが、奥羽に対して

は米でなく砂金・馬・布などの特殊所出物を指定していた。そして、当時の社会で価値の高かったこれら砂金・

馬・布のような物資を直接取扱う郡地頭の職権には、莫大な権益が伴っていたのである(『東北の歴史・上巻』

第五版二四一ページ)。

鹿角郡の所当官物に関する明証は現存していないが、錦木塚伝説などに伝えられた細布、鉱山伝説の砂金、長

者伝説の「こがね千盃・漆万盃」「馬千疋」の漆・馬または紫根染で知られる紫根などが想定される。ことに、

平安末~鎌倉期の歌論書『奥儀抄』『袖中抄』『無名抄』がいずれも「みちのくにのおく、けふの郡より出くる

布」と解説している細布は、鎌倉・南北朝期にも都人士の珍重物であったといわれる。「けふの細布」は陸奥国

の歌枕として『夫木集』(一三一〇年)、『新千載和歌集』(一三五六年)『新拾遺和歌集』(一三六三年)な

どにも歌に詠みこまれ収録されている。「けふのほそぬのといふは、みちのおくに鳥の毛しておりける布なり。

おほからぬ物にてをる布なれば、はたはりもせはく、ひろもみちかけれは、上にきる事はなくて小袖なとのやう

に下にきるなり」(『袖中抄』『無名抄』)とも、兎毛を混ぜて織りあげたともいわれるこの陸奥国の特産品は、

「けふ(狭布-希婦-毛布-京)の郡」とよばれた鹿角郡の所出であると伝えられてきた。当時の擬似毛織物と

でもいうべき特性をもっていたため、鹿角郡の指定官物として、郡地頭の手で調達され一定量を京都・鎌倉にま

で送られていたと考えられている。