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建武二年南部師行への陸奥国宣(遠野南部文書)
軽曽我文書九一通・津軽小河文書一〇通・津軽工藤文書
七通・津軽安藤文書五通ほか、浅利・加藤・平賀など各
各の家伝文書もあわせて現存する、稀有の史料群である。
遺憾ながら津軽と糠部に偏して鹿角関係は六通のみであ
るが、鹿角地方の動向はこれら他地域を通して垣間見る
ことができる。なお、このほか十数点の南北朝期北奥関
係文書が現存するが、鹿角と明記したのは前節でもふれ
た京都八坂神社文書一点しか確認できない。だがこれら
の文書だけでも、成田頼時と南部師行の立場は鮮明に示
される。
奥州成田氏に対する北畠氏の信頼には、厚いものがあ
った。陸奥国府によって、抜擢されたのは、ひとり成田
頼時だけではなかった。上記の文書は、いわゆる中先代
の乱に次いで足利尊氏が公然と反旗を飜し、陸奥国内が
騒然となった時、北畠氏が国府から各地に特命使節を派
遣して、事態を収拾しようとした一齣を伝えたものであ