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安保弥五郎入道のこと

建武新政陸奥国府体制下の唐

角郡で、新たに姿を現わして

くる武士に、安保弥五郎入道や瀧瀬彦二郎入道らがいる

前述のように糠部・津軽地方を中心とするこの時期の北

奥関係現存文書のなかでは、鹿角武士として明記されて

いないが、彼らこそ北畠氏の政策下の鹿角において地歩

を固めた中小領主層ではなかったか、とみられる。

この安保弥五郎入道は、まず建武元年六月に津軽平賀

郡沼楯村領主としてあらわれる(建武元年六月日曽我

光高申状遠野南部文書)。沼楯村は、鎌倉期得宗領津軽

の中で、得宗御内人片穂氏や曽我氏が地頭代として所務

をとってきた所領である。新政権樹立後の津軽は、なお

北条氏余党の拠点となっていた。沼楯村地頭代職の手継

証文をもつ曽我光高は、幕府滅亡直後は父光頼と共に鎌

倉で警固役を勤めていたが、一族の曽我経光らが津軽石

河城にたて籠って新政に抵抗し、光高所領の財物を略奮

建武元年曽我光高申状(遠野南部文書)