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岩手県安代町田山の

延文板碑

関係現存文書が数少ない前記文書に限られているなかで

は、貴重な歴史資料といえよう。

高さ一メートル三七センチのこの碑は、地元では空海

上人伝説をともなって口承され、供養されてきた。空海

が遍歴のみちすがら、殿坂に葬られていた高貴な人の菩

兎を弔うため、白絹布に南無阿弥陀仏と記し堂内に納め

て去ったが、延文二年になってその六字名号を村人たち

が石に刻んで建立したという。むろん天長八年(八三一)空海奥州遍歴は歴史的事実になく、古代貴族の墓地説

も雲をつかむような伝承である。しかし、遍歴の僧が死者の菩堤を弔い、村人たちが長く供養を続けてきた、と

いう伝承の骨格は否定できない事実である。

具阿が南無阿弥陀仏の六字の名号を自然石に刻んで供養するのは、時衆僧の作善であったとみられる。時宗は、

南無阿弥陀仏の名号を唱えれば、出家と在俗、貴賤男女の別なく往生できると一遍上人が教えを説いて以来、全

国を遍歴する時衆僧の遊行と踊念仏、賦算などの布教法で全国に広まった宗派である。時衆僧によって、鎌倉末

期から全国各地にこのような名号板碑の供養される例も多かった。一遍が陸奥国江刺郡の流罪先で没した祖父河

野通信の菩堤を弔うため奥州遊行して以来、時衆僧の奥州遊行もくり返され、信者層が増えた。神奈川県藤沢市

清浄光寺の「時衆過去帳」には、時宗に帰依した奥羽関係者が随所に記載され、滋賀県近江番場蓮華寺の「血脉