テキストを表示

永徳四年藤原守綱契状(遠野南部家文書)

通、永徳四年(一三八四)八月十五日契状も、あるいは

鹿角郡と関わりあるものだったかもしれない。この南部

氏の契状は、永和二年(一三七六)の伊達宗遠と田村

族小沢伊賀守との契状(伊達家文書)や翌年宗遠の子息伊

産政宗と留守一族余目持家の交した契状(留守家文書

明徳二年(一三九一)の白川満朝と石川一族赤坂鶴寿丸と

の契状(秋田藩家蔵文書赤坂文書)などと同様の趣を示

している。糠部の南部一族が周辺の国人と交した契状で

あるが、南部氏勢力の及ぶ範囲内での周辺国人の藤原姓

の守綱とは、鹿角郡の成田氏であった、という可能性が

恐ぜられる。花押まで判然としているこの契状の守綱な

〓人物と背景について、今後明らかにしなければならな

い。いずれにせよ、鹿角でも、鹿角国人たちが一揆的結

合を展開しながら、鹿角の地を己が天地として守りぬこ

うとするようになっていた、という事態をここに把握し

ておきたい。