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か明らかでないが、この措置はやがて起こる永禄の桧山合戦の前奏曲であったかも知れない。それまで必らずし

も反南部でなかった鹿角国人の矜持をいたく傷つけることであるに違いなかった

谷内氏も一戸系で、『中村一戸系図』によれば長牛氏の祖信広の弟光元から出ている。しかしその譜記の年代

があまりに古く、明らかに後年の作為と知れる

第〓図中村一戸氏系胤譜考、その他(『岩手県史』より

我々持の寄合勢

大文年中から永禄・天正の初めへかけて南部氏の柱石であった勇将高信がまだ田子館に居

に頃、信頼厚い軍評定人舟越修理・金浜円斎に謀って言うには、我は兄安信の遺児晴政を養

って領内の危機を救い今は何人も異儀に及ぶ者がなくなった。「然らば此上は隣境に馬を向けて一当て塩を付け

て見ん先ず隣境と云うは津軽・鹿角・岩手に候是は皆一度当家の領内なれども興廃の変に随い或いは服し或いけ

叛く今我何を先に取らん」と問うた。

金浜円斎が答えて「津軽は豊饒の国其の上御当家へ数代相叛き今新たに干戈を取結び給う事大事に候其変を見