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つき、軍兵を催し鹿角口から攻入った。先手は桜庭兵助、稗貫帯刀その他千八百余人、花輪に陣取った。

〓、愛季はこれを聞き、米内沢阿仁常陸介資清一門、阿仁播摩守一門、片山駿河守、山田十郎左衛門、斎藤高橋、桧山

作兵衛、野代伝右衛門、十孤二郎兵衛、五城目兵庫、和田内膳父子等を催して千人近く赤沢に待機した。

ハ、南部勢は白根西道を経て押寄せ互いに弓鉄砲を打合いここを専途と戦った。南部方は北・南・東・桜庭・稗貫

閉伊武者が真先かけ攻め立てたので秋田勢は叶わず大明神まで退いた。秋田方勇士六十四騎は大将をこそ討取れと

南部の大軍の中に割って入ったが遂に大将信直に近付くことができず一ノ関に退いた。米内沢常陸介はここで討死

せんと馬首を立て直したが、阿仁播磨守は大館の城に籠り再挙を図るこそ良将の策と押とどめ全員大館に引取った。

二、南部信直は赤沢大明神一ノ関まで切取り、所々に要害を構え関所を作り人数を配置して南部に帰った。

ホ、元南部の郎党大光寺左衛門尉は津軽を落ちて比内に身を隠していた。比内の城にあった五城目兵庫は大光寺とか

ねて朋友の誼みがありその上実季を恨む事情があったので、両人密かに語らい南部勢を城に導き入れることとし急

ぎ三戸の北左衛門信愛に注進した。信愛は信直に報じた。

へ、三戸では直ちに比内攻の陣触れを行ない、まず一門の人々として八戸弾正少弼、北信愛、九戸政実、東中務、南

哀江守、石亀紀伊守、七戸彦三郎、四戸中務その外家の子郎党には桜庭安房守、小笠原、一条、浄法寺修理亮、大

湯四郎左衛門、同五兵衛尉、湯瀬宮内等を始めとして約七百余騎、天正十六年三戸を進発、鹿角郡を経て西道山た

越え赤沢・大明神に陣を取った。

ト、比内の城代和田内膳らは、雲霞のように押寄せる南部勢へ城中より打って出て戦うなど防戦に努めたが、かねて

の合図通り五城目兵庫、大光寺左衛門尉が敵を城中に導いたので落城した。比内は南部の手に入り、大館の城にけ