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所領を安堵され、不参の者は領地の没収、滅亡に追いこまれるという悲惨な結果を招いた。十八年七月五日北条

氏降服し、同十三日秀吉は小田原城へ入った。

南部信直は三月下旬小田原城攻囲陣参加のため三戸城を発し、出羽・越後・信濃を経て関東の野州に到り、金

沢前田勢に合しその指揮に属した。七月二十七日信直は宇都宮にお

いて首尾よく秀吉より所領安堵の朱印状を受けた。すなわちそれは

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第16図南部信直宛秀吉安堵状

書き下し文になおすと

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一、南部内七郡の事、大膳大夫の覚悟に任すべき事

一、信直妻子は、定めて在京仕る可き事

一、知行方検地せしめ台所入り丈夫に召し置き在京之賄相

続き候様に申し付く可き事

一、家中之者共相抱え、諸城は悉く破却せしめ、則ち妻子

ハ三戸へ引寄せ召し置く可き事

一、右条々異議に及ぶ者之れ有らば、今般御成敗を加えら

る可く候、堅く申し付く可き者也

以上

天正十八年七月廿七日(秀吉朱印)

南部大膳大夫殿

(『盛岡南部家文書』)